目次
1.砂川駅とわがまちご当地入場券
砂川オアシスパークを出て北上すると、すぐに砂川の市街地に到着。
さっそく駅へ向かうことにする。
東口は地域交流センターと連結している。
西口が駅の正面。
駅スタンプは先ほど訪れた遊水池の水門
そして、市民一人当たりの都市公園面積は日本一を誇ることから、公園都市・砂川と名乗っている。
裏面はお菓子が並んでいる。
スイーツで有名な砂川。
現在は北菓楼などの18店舗が名を連ねている。
高速道路のサービスエリアも年々充実しており、観光客に人気のスポットだ。
この後、どこかへ寄ろうと考えていたら某所で車をこすってしまい、絶望に打ちひしがれながら札幌へ帰ったのであった。
2.砂川駅と近隣の歴史
砂川は当初より交通の要衝として栄えた。
1880年代頃から歌志内・上砂川の炭田調査が始まる。
さらに同じころ滝川に屯田兵入植、さらに新十津川への移民が始まり通過地点の砂川には商店や宿屋ができて、徐々に賑わいが見えるようになる。
1891年北海道炭礦鉄道空知線の岩見沢~砂川、砂川~歌志内間が開通。
翌年砂川~空知太駅間も開通。この工事期間に砂川市街も区画割などが行われ、砂川駅も設置された。
1898年上川線と接続し砂川~滝川駅間が開通。空知太駅は廃止された。
1902年二級町村の奈江村発足。
翌年砂川村に改称。
砂川は鉄道・流送による木材の集積地で、市役所裏付近に貯木場があった。
当時は満州に輸出する枕木などの製造が盛んで木材需要は活況を呈した。
その他砂利や石材の搬出も盛んであった。
1907年一級町村制施行。周辺を商圏として栄える。農産物や木材の発送も変わらず盛んであった。
1918年三井鉱山専用線を敷設。1926年に上砂川支線となって旅客扱い開始。
歌志内・上砂川から運ばれる石炭の集積地ということもあって多数の側線を有する大きな構内であった。
1970年代後半の国土地理院地図の航空写真
駅北からは歌志内線、駅南側からは上砂川支線が分岐している。
構内には函館本線・歌志内線用の2面3線構造の島式ホームと上砂川支線用単式ホームが設置されていた。
上砂川支線の分岐から少し南には既に役目を終えた転車台がまだ残されている。
その南にある木工場へもかつては専用線が続いていた。
時代は流れ、石炭から石油へとエネルギー転換が始まる。さらに
1984年貨物取扱廃止。
1988年歌志内線廃止、1994年上砂川支線廃止。
かつて存在していた多数の側線も徐々に撤去されていく。
2007年上砂川支線跡に地域交流センターが建てられた。
駅舎と自由通路で結ばれている。
建物内には上砂川支線の線路やレールが展示されていたりするのだ。