炭鉱と廃線 ― 立坑櫓 ―

目次

 

1.中央竪坑櫓(たてこうやぐら)

上砂川駅跡から南東を眺めると、ひときわ目立つ背の高い建物。

炭鉱のシンボルだった立坑櫓。

 

 

この建造物ができたのは1968年。目的は炭鉱の近代化・地下深部の開削だった。

立坑・竪坑とは垂直に掘られた坑道のこと。

ケージと呼ばれるエレベーターを使って石炭や人を昇降していた。

 

 

上の写真は逆光なので黒っぽく見えるが、本来はシルバーらしい。

 

完成後は上砂川町のシンボルとして親しまれる。

町の刊行物では幾度も表紙を飾ったそうだ。

 

国土地理院地図の1970年代航空写真。

 

周囲は巨大な炭鉱設備の敷地。

今では想像もつかない。

 

2.三井砂川炭鉱

三井砂川炭鉱の始まりは1887年、道庁技師の坂市太郎と山内徳三郎による炭層発見に始まる。

1896年北海道炭礦鉄道が採掘開始。後年三井鉱山が買収する。

この頃は西山坑が採掘の中心。

 

 

1914年大規模開発が始まる。

第一坑があったのはここ。

 

 

1918年石炭運搬のための専用線が開業。後の砂川支線である。

その後も文殊・東山・奥奈井江・白山などに坑口を建設。

 

1949年 三井グループ企業城下町の性格が強い一方、砂川・歌志内の市街地から離れていることによる不便を解消すべく上砂川町が発足。

1953年 第一立坑櫓建設。

1964年 日本で初めて本格的に水力採炭を採用。

1967年 中央立坑櫓設置。

しかし、時代はエネルギー革命へ。

石炭は石油に主役の座をとってかわられ、炭鉱は斜陽に。

1987年 砂川鉱業所は閉山となった。

炭鉱の設備も次々と撤去され、町の様子が変わっていく。

中央立坑櫓は新たな役割を担うようになった。

 

3.地下無重力実験センター

新しい役割とは地下無重力実験センター。

無重力という言葉から連想されるように、宇宙開発の実験に使われる施設となったのだ。

櫓と坑道を利用した710mの落下施設の内、490mを自由落下とする。

その間、約10秒が無重力状態となるそうだ。

(2重構造のカプセルを落下させると、内側のカプセルが無重力となるらしい)

 

1回当たりの経費は200万円!スペースシャトルによる実験よりは安価だが、実験結果の応用に苦戦し、利用率は低迷。

2003年、残念ながら閉鎖となった。同じ年第一立坑櫓が解体される。

 

今では、炭鉱の町のシンボルとしてただ静かに聳え立つのみ。

山中の小さな町に似つかわしくない巨大な建造物は、まるで忘れられた古代都市の遺跡のようにも思える。