伊達市 ― 北の湘南と茸の国 ―

今日は伊達市について調べてみた。

wikipedia:伊達市

 

人口は約3万5千人

2006年に旧大滝村編入合併し、現在の市域となる。

 

伊達市噴火湾に面し、積雪が少なく比較的温暖な地域で北の湘南とも呼ばれる。

仙台藩の亘理伊達氏の当主、伊達邦成が明治時代に開拓を行ったことにちなんで伊達市という名になった。

 

国道37号が市街を貫く。また、国道453号の終点にもなっている。

JR室蘭本線も市内を通り、6つの駅が設けられている。

道の駅は国道37号沿い、町の中心部の総合公園だて歴史の杜に設置された。

敷地内にあるのは観光物産館、体育館、刀鍛冶工房や藍染め工房に開拓記念館など。

記念館には江戸期の著名なひな人形が展示されており、人気が高い。

近隣の建物も江戸時代の建築を模しており、北海道では珍しい武家文化に触れることができる町だ。

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桜で有名な有珠善光寺や北黄金地域の貝塚文化財である。

 

眺めの良いアルトリ岬にはキャンプ場もある。

 

飛び地合併をした旧大滝村は内陸部の山間地域である。

国道453号線が町内を横断している。

かつては国鉄胆振線が通っていたが1986年に廃止となった。

現在北湯沢温泉が建っているあたりが旧北湯沢駅である。

 

道の駅は1億円のトイレが有名だが、目印は世界最大のログハウスという看板

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・・・だったのだが、隣に道の駅から独立して店を構えたきのこ王国の存在感がやはり半端ない。

村の名産であるきのこは道の駅でもきのこ王国でも味わうことができる。

静かな村だが支笏湖ニセコを結ぶ中間点とあって、団体バスは結構多い。

 

名所は村名の由来となった三階滝。

落差10mに及び、紅葉も見所だ。

 

 

空から日本を見てみよう ― 宇治市 ―

今日は2013年10月1日放送の空から日本を見てみようで訪れた宇治市について調べてみた。

 

まずは京都市伏見区からスタート

wikipedia:伏見区

京都市南部に位置し、人口は30万人弱。11区の中で最大の人口である。

稲荷神社の総本社、伏見稲荷神社の門前町として古くから栄える。 

戦国期には伏見城も築かれ、京都とは別の都市であった。

1931年に京都市に編入、現在は京都市の郊外という色合いが強い。

 

黄桜、月桂冠宝酒造など日本酒の蔵元が数多い。

 

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伏見稲荷大社の千本鳥居

実際、鳥居は1万基ほどあるらしい。

個人からの奉納によってこの数になったそうだ。

今でも増えているから驚きである。

 

豊臣秀吉の隠居屋敷であった伏見城、晩年に秀吉が「醍醐の花見」を行った醍醐寺や幕末の志士たちが活動の拠点としていた寺田屋伏見区にある。

また、明治天皇をはじめ、天皇の陵も伏見区に多い。

 

続いて宇治市

wikipedia:宇治市

 

人口は18万人ほど。

京都市の南部に位置し、ベッドタウンとして人口増加中である。

 

宇治市と言えばやはり藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂か。

10円玉の裏に描かれているあれである。

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建物だけでなく、仏像や絵画なども多くの文化財が所蔵されている。

また、鳳凰堂の屋根に設置されている鳳凰像は1万円札に描かれている。

 

平安時代末期には以仁王源頼政が乱を起こし、平家追放後には源義仲源義経が戦った。鎌倉時代承久の乱でも戦いの舞台となるなど、京都をめぐる戦において重要な地であった。

 

現在ではお茶の製造、任天堂の工場、ユニチカの化学繊維工場などの産業が目立っている。

その他源氏物語の舞台となった地や、天ケ瀬ダムなど宇治川付近を訪れる人が多い。

 

 

 

地球絶景紀行 ― マナウス ―

今日は2011年3月18日に放送された地球絶景紀行。ブラジルのマナウスについて調べてみた。

wikipedia:ブラジル

 人口は世界第5位の約2億人。

首都はブラジリア。南米最大の面積を持つ国である。

 

今回訪れたのは北部のアマゾナス州の州都・マナウス

アマゾナス州は文字通り州のほぼ全域がアマゾン熱帯雨林内に位置している。

 

州都のマナウスアマゾン川と支流のネグロ川の合流地点に位置している。

 天然ゴムやコーヒー、ジュートの集積地として栄えた。

市街地はヨーロッパ風のコロニアル建築の建物が並んでいる。

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2014年のワールドカップでは

カメルーン - クロアチア

イングランド - イタリア

ホンジュラス - スイス   の3試合が行われた。

大会中最も過酷な環境(気温・湿度・移動距離)で行われ、上記6か国のうち決勝トーナメントに進めたのはスイスのみであった。

 

マナウスは、アマゾン観光の拠点としても人気がある。

流域面積世界最大のアマゾン川は水深も深く、河口から4000km上流まで遠洋航海用の船で航行できるという。

 

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場所によって白い川、黒い川、緑の川と呼ばれるなど多様性に満ちた一面を持つ。

 

生息する生き物も多種多様で植物、昆虫、鳥類などは今なお新種の発見も多い。

ピラルクやピラニアなど有名な魚類もいればカワイルカにマナティなど珍しい生き物が数多い。

幼き頃、探検隊にあこがれた諸氏であれば何度訪れても飽きない場所だろう。

世界ふれあい街歩き ― ショプロン ―

今日は2006年9月12日に放送された世界ふれあい街歩きで訪れたハンガリーのショプロンについて調べてみた。

まずはハンガリーについて

wikipedia:ハンガリー

 ヨーロッパの中央部に位置し、人口は1千万人弱。

首都はブダペスト

国土の大部分はなだらかな丘陵である。ヨーロッパ有数の温泉大国でもある。

 

ショプロンはハンガリー西部、隣国オーストリアに向かって突き出たような位置にある町だ。

 wikipedia:ショプロン

秋田県鹿角市姉妹都市である。

ローマ帝国時代には「琥珀街道」の通称の町として栄えていた。

中世、ハンガリーの大部分はオスマン・トルコの領土となったが、ショプロンは侵攻を逃れたことで当時の街並みを残すことができた。

その後、町は大火に見舞われるも復興したバロック様式の建造物と火の手を逃れた建物が調和する町となっている。

 

1989年、旧東ドイツ国民がピクニックと称してハンガリーに入国後、ショプロンを通って隣国オーストリアに入国。東西ドイツ分離状態が崩壊するきっかけとなった。冷戦終結を語るに欠かせない都市でもある。

 

市内で最も有名なのは火の見塔

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町のランドマークである。

下部は中世に作られたルネッサンス様式。上部は火災後バロック様式で再築され、二つの様式が混合する特徴的な建物である。

塔に登ると旧市街を見渡すことができ、ショプロンに来たら誰もが訪れる場所である。

 

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ショプロンの街並み

 

火の見塔のすぐそば、中央広場には三位一体の像やファブリツィウシュの家、ラックネルの家、シュトルノの家など町を代表する建築物が並ぶ。

 

また山羊飼いであったガイゼル・ヘンリックが、掘り当てた埋蔵金を寄付して建てられた、その名も山羊教会も町を代表する名所の一つ。

中世には戴冠式も行われた。

 

 

終着駅へ行ってきます ― 昭和の旅情 ―

宮脇俊三著 「終着駅へ行ってきます」 を読んだ。

 

 

終着駅へ行ってきます (河出文庫)

終着駅へ行ってきます (河出文庫)

 

 

 

 

時代は昭和50年代

まだJRではなく国鉄が健在であった頃の旅行記である。

日本各地25の路線の終着駅を訪れた記録が綴られている。

鉄道に乗っている時の旅情もさることながら、終着駅に着いた後一杯やっている姿も楽しく、グルメ紀行にもなっている。

 

根室本線根室

最果ての駅としていまだ健在。とりまく状況は厳しいが、鉄道ファンにはあこがれの地であることは変わらない。

 

標津線根室標津駅

1989年廃線に伴い廃駅。ターンテーブル蒸気機関車が保存されている。

 

士幌線十勝三股・糠平

取材時にはすでに糠平十勝三股駅はバス代行となっていた。

1987年に士幌線廃線となり、全てバス代行となる。十勝三股は現在でも1日1便運行の秘境である。

 

留萌本線増毛駅

2016年廃駅。現在は新たな観光拠点として再整備中である。

高倉健主演の映画の舞台にもなった場所である。

 

瀬棚線瀬棚駅

1987年廃線により廃駅。北海道最西端の駅であった。

現在は記念碑とレプリカの駅名標が設けられている。

 

阿仁合線比立内駅

山間部の終着駅で秋田でも指折りの秘境駅であったが、内陸縦貫鉄道の開通によって途中駅になった。マタギ文化の残る地域である。

 

石巻線女川駅

東日本大震災で被害を受けるも、2015年に復旧。

漁港近くにあり、食の旅でもあった。

 

日中線熱塩駅

1984廃線により廃駅

蒸気機関車による旅客輸送を最も遅くまで行っていた路線であった。

 

足尾線間藤駅

宮脇氏が国鉄完乗を達成した縁の深い駅。

現在は国鉄からわたらせ渓谷線に変わって観光鉄道となった。

 

鶴見線海芝浦駅

東芝京浜事業所の敷地内にあり、関係者以外は駅から出ることができない。

宮脇氏が訪れた時代から今なお変わらぬ形であるが、東芝の傾き具合によってはこの駅も一体どうなってしまうのか予断を許さないところである。

 

赤谷線東赤谷駅

作中最も記憶に残る駅。1984廃線により廃駅。

鉱山が閉じられ、乗客がいなくなり、鉄道もなくなるというお決まりのパターンではある。しかし駅長さんとの短いやり取りは鉄道ファンでなくても琴線に触れるエピソードではないだろうか。

 

上田交通別所線別所温泉駅

かつて丸窓電車と呼ばれた個性的な車両が走っていた路線。

2012年から5年連続輸送人員が増加しており、小さな鉄道会社ながらも必死に踏ん張っている。

 

氷見線氷見駅

北陸新幹線開業に伴い廃止も検討されたが、引き続きJRで運行が決まる。

ここも漁港で、漁や市場の様子が楽しい。

 

京福電気鉄道三国芦原線三国港駅

現在は第三セクターえちぜん鉄道が運行。

ここも漁港付近の終着駅だが、近隣の町の描写がメインであった。

 

大井川鉄道井川線井川駅

日本屈指の観光路線ともいえるこの路線

宮脇氏は高所恐怖症とのことだが、タモリといい、私といい鉄道好きになると高い所は嫌いになるのだろうか。

 

武豊線武豊

名古屋市街から知多半島の中ほどまでの通勤・通学路線

空港への延伸も検討されたようだが実現には至らず。

 

名古屋鉄道谷汲線谷汲駅

西国三十三所巡りの第三十三番札所の華厳寺の最寄駅であったが、2001年谷汲線廃線により廃駅。駅舎は昆虫館になっている。

 

名松線伊勢奥津駅

名張と松阪を結ぶ路線であったが、名張までは建設に至らず。

さらに2009年の台風被害で一部バス代行を強いられ、廃線も検討されたが2016年に再び全線開通を遂げる。

 

片町線片町駅

京都の木津駅から大阪府京橋駅へ至る路線。現在では学研都市線と称されることの方が多い。路線名となった片町駅であるが、巨大ターミナルである京橋駅と近距離の盲腸線であることから、利用者の低迷によりあえなく廃駅

 

牟岐線海部駅

国鉄時代は路線延伸がかなわず、海部駅が終着駅であったが1992年に阿佐海岸鉄道が開通・海部駅に乗り入れを行い悲願成就となる。しかし、延伸部分は人口減などによりDMV導入が決定したようだ。

宮脇氏はウミガメの産卵も目撃。

 

境線境港駅

一見ローカル盲腸線ではあるが、実は山陰最大の漁港・貿易港である境港とこちらも山陰の主要都市米子を結ぶ重要路線。駅付近には亡くなられた水木しげる氏ゆかりのキャラが勢揃い。

 

山陰本線支線仙崎駅

とかく宮脇氏は魚市場が好きらしい。氏によれば終着駅と魚市場はセットのようなものだそうだ。今回も駅近くの市場でセリを見学、その前日には駅の先、青海島でかまぼこ工場も見学。

 

鹿児島本線門司港駅

こちらもほぼ支線の様な駅。かつては関門海峡を臨み、波止場のある終着駅らしい終着駅であったが海峡を徒歩でも渡れる現在にあっては。。。

現在駅舎は文化財、駅付近はレトロ建築の並ぶ観光地となった。

 

妻線杉安駅

宮崎駅に最初に乗り入れた鉄道であったが、利用減により1984廃線・廃駅。

湯前駅への延伸も計画されていたが実現には至らず。

駅付近にもほぼ痕跡は残されていない。

 

指宿枕崎線指宿駅

JR最南端路線の終着駅。

作中では路線途中の山川駅付近で漫才コンビ銀シャリ・鰻君のルーツと思われる鰻集落が登場。数か月前にNHKで放送していたのと同じようなエピソードが載っていた。まさかこの本が下敷きとか・・

枕崎駅はもともと鹿児島交通の枕崎線の駅であったが1984年に廃線。この作品では現役の鹿児島交通の駅として描かれている。