引き続き花巻の町中を周る。
続いてやってきたのはイギリス海岸

イギリスの白亜の海岸を連想させることから賢治兄さんがイギリス海岸と名付け、足繁く通っていた場所である。

土手は桜並木となっている。

KJにとってのイギリス海岸とは。

この風景を見てKJはイギリスを連想したというわけだ。

現在は北上川上流のダム建設によって水量が一定に保たれ、川床を見ることは難しくなった。しかし、年に一度、KJの命日9月21日には上流のダム5つの放水量を調節し、川床が現れるようにしているらしい。
毎回成功とはいかないようだが、意外と大がかりなイベントになっているようだ。
賢治ファンなら一度は訪れて欲しい場所だ。

次は花巻城址へ
室町時代には稗貫氏の居城であった。
豊臣政権樹立後は浅野長政、のちに南部信直の代官、北信愛の居城となった。
江戸時代を通じて南部氏の抱え城として辺り一帯の政治の中心となったが、明治2年に廃城となる。

道路沿いに石垣が残る。

城の復元図と説明書き

復元された西御門

本丸跡は芝生が張られている。

御台所前御門のあった場所

そして、この地もKJの愛した場所であった。
すぐ側には小学校があり

銀河鉄道のモニュメントと

KJのシルエットが描かれていた。