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1.霧島市
今日は2015年9月22日放送の空から日本を見てみようで紹介された鹿児島県の霧島地方について調べてみた。
最初は霧島市。wikipedia:霧島市
人口はおよそ12万3千人。
薩摩地方と大隅地方、そして宮崎を結ぶ交通の要衝として古くから栄える。
中心部は天降川の三角州。
東部の台地上にある上野原遺跡は、南九州における縄文時代の定住化の様子を示す集落跡となっている。
市街地の外れには奈良時代に建立されたとみられる大隅国分寺の遺構がある。
現在は石塔と仁王像が残されている。
石塔と仏像が残る隼人塚と共に中世の貴重な仏教以降として知られる。
この辺りは古代「隼人」と呼ばれ、大和朝廷に従わぬ人々の根拠地であった。
これらの仏教施設は徐々に衰退していったとみられるが、改変に影響を大きく及ぼしたと思われるのが国分城の建設。
関ケ原の戦い後、隠居の身分となっていた島津義久が富隈城から1604年に移転。
寒村だった城下は明人の設計で唐人町が整備されるなど、京都風な碁盤の目の大きな市街となった。
城は天守城郭ではなく、中世の屋形様式だったとされる。裏山を後詰の隼人城として防衛能力に重点を置いた城であったようだ。
城跡は現在小学校になっている。
富隈城は天降川の対岸、より河口近くにあった。
豊臣秀吉に敗れた島津義久が居城であった内城を退去させられる。
急遽薩摩と大隅の中間にあり、港のあったこの地に移転したようだ。
義久は城下をよく整備し、薩摩藩有数の港となった。町の整備が後の国分城下の建設にも役立ったと思われている。しかし、防御面では島津の特徴である後詰の城山がなく、脆弱であった事が後の移転につながったと思われる。
現在は石垣が残るのみとなっている。
市の北部は宮崎県都城市との県境となる霧島連山が連なっている。
有史以降にも噴火を繰り返す活火山群。温泉が豊富で、地熱発電も行われている。
1934年には日本で最初の国立公園となった。
山々は古代より信仰の対象となっていた。麓にある霧島神宮は災害によって平安時代に現在の場所へ再興された。
島津氏の庇護を受け、現在は国宝となっている。
2.湧水町
次は湧水町。
人口は9千人弱。
町名は町域各地にある湧き水が由来である。
明治時代、九州でも鉄道の敷設が進んで行く。
当初海岸沿いへの線路敷設は危険とされたため、鹿児島と九州北方を結ぶ路線は山中を進むこととなった。
吉松駅は鹿児島方面・熊本方面・宮崎方面の分岐駅となり、機関区も設置されるなど鉄道の町として賑わった。
しかし昭和初期に急勾配を避けて海岸を通る、現在の鹿児島本線が敷設される。
吉松駅を通る路線はローカル線となり、乗降客・取扱量は激減。
現在は近隣の観光SL会館に蒸気機関が静態保存され、肥薩線の歴史が展示されている。