空から日本を見てみよう ― 諏訪湖周辺 ―

目次

 

1.諏訪湖

今日は2015年7月28日放送の空から日本を見てみようで紹介された諏訪湖周辺について調べてみた。

まずは諏訪湖について。

wikipedia:諏訪湖

 

天竜川水系に属し中央高地の隆起活動と糸魚川-静岡構造線の断層活動によって生じた構造湖。約120万年前南のフィリピン海プレートからの圧力が高まる。北からのユーラシアプレートの圧力とぶつかり、裂け目ができたのがこの諏訪盆地というわけ。

古代にはこの諏訪盆地はほぼ湖となっていた。

流入河川からの土砂堆積や干拓・護岸工事により面積は徐々に縮小し現在の大きさとなっている。

冬季に全面氷結した湖面で見られるのが御神渡り(おみわたり)。

昼間に気温が上昇し緩んだ氷が、夜間凍結により面積を膨張させ行き場のなくなった部分が割れながらせり上っていく現象。その割れ目が湖の上を一本の線のように続き、神様の通った道のように見えたことから御神渡りという名がついた。

 

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2.諏訪市

次は諏訪市について。

wikipedia:諏訪市

人口は約4万8千人、諏訪盆地の中央部に位置する。

 

縄文時代の遺跡が点在。中世は諏訪氏がこの地を治め、江戸時代以降は高島藩の領地となった。

高島城関ケ原の戦いより少し前に諏訪湖畔に突き出た位置に建てられ、諏訪の浮き城と呼ばれた。江戸時代の干拓で浮き城の面影は失われるもその名は現在に引き継がれている。石垣と堀のみが残っていたが、現在は天守等が復元され公園として整備された。

周辺は城下町・上諏訪宿として甲州街道の宿場町となった。現在も街道ぞいには豊富な水を生かした醸造・酒蔵など往時の雰囲気が残っている。

 

日本最古の神社の一つとも言われる諏訪大社平安時代の歌謡集である梁塵秘抄にもその名が見える。四つの宮のうち諏訪市内には上社本宮が建てられた。

 

明治以後は製糸産業で賑わった。その後セイコーの腕時計をはじめとする精密機械業、そして現在はセイコーエプソンを代表とするハイテク産業が栄えている。

氏の北東部にある霧ケ峰高原高山植物と諏訪盆地・富士山を一望できる景観が人気。

3.下諏訪町

続いて下諏訪町

wikipedia:下諏訪町

人口はおよそ1万8千人。

町北東部の和田峠は、縄文時代全国でも数か所しかない黒曜石の産地であった。

 

この地域のシンボルである諏訪大社下社の春宮秋宮が位置する。

江戸時代初期の街道整備の際に、甲州街道中山道の分岐点である下諏訪宿が整備される。温泉が湧出し、難所が控えるため宿泊する旅人が多く賑わっていた。

明治維新後は製糸業が盛ん。その後は精密機械業が発展し、三協精機のオルゴール製造は一時生産高世界一となった。

 

4.岡谷市

最後は岡谷市

wikipedia:岡谷市

人口は4万7千人。県内では人口密度が最大の自治体。

 

縄文~奈良・平安時代にかけての古代遺跡がいくつか発見され、出土品は市立岡谷美術考古館に展示されている。顔面把手付深鉢形土器は完全な形に復元された希少な土器。

明治時代に片倉市助が始めた小さな製糸工場は、後に日本の製糸業の7割を手中に収める財閥片倉組となる。富岡製糸場筆頭株主にもなり施設の保存に努めた。

金融・化学など多くの業種に進出していたが戦後の財閥解体・企業統合などによって今は大企業の一部となったものが多い。

市立岡谷蚕糸博物館岡谷市と製糸業の発展の歩みを学ぶことができる。

 

31の河川が流入する諏訪湖だが、出口は天竜川のみ。

その唯一の流出口を管理するのが釜口水門

 

片倉組の施設であった鶴峯公園ツツジの名所となっている。

一般的に連想するイメージと比べてかなりモッコモッコとなっている。