世界ふれあい街歩き ― サンフランシスコⅠ ―

目次

 

 

1.サンフランシスコの概要

今日は2009年1月8日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたアメリカのサンフランシスコについて調べてみた。

wikipedia:サンフランシスコ

 

サンフランシスコ半島の先端部に位置し、太平洋とサンフランスシスコ湾に挟まれた丘の多い地形である。断層が近く、地震が頻発している。市域には埋立地や人口島があるが、これらも構造上地震に弱く、古い建物と共に市の課題である。

海流の関係で霧が発生しやすく、夏は比較的涼しい。一方で冬はそれほど寒くはならず一年を通じて安定した気候だ。

 

2.サンフランシスコの歴史

19世紀まではインディアン部族の居住地であった。最初にやって来た白人はスペイン人。1769年に到達したと言われている。1821年メキシコがスペインから独立した際にメキシコ領となる。1840年代のアメリカ・メキシコ戦争アメリカ領となった。

当初は小さな港町であったが1848年に始まったカリフォルニアゴールドラッシュによって人口急増。やがて大きな港となりアメリカの東海岸と西海岸を結ぶ航路、そして太平洋航路の発展に繋がっていく。

 

交易の中心となったサンフランシスコには多くの移民が集まるようになる。

色々な産業が発展していくが、特に鉱山関係では無法者も多く治安も悪化した。

チャイナタウンやケーブルカーなどはこの時代に築かれたものである。

サンフランシスコ要塞はアメリカの最も重要な海軍基地となり、一方で人口の増大に伴って公園や文化施設のの整備も行われる。芸術の中心としてもその名を高めていく。

 

1906年地震によって町は大半が倒壊、あるいは火事により灰と化した。

当時の人口40万人のうち、半数以上が住む家を失ったと言われる。

復興は急ピッチで進み、1915年には万国博覧会も行われた。

 

その後サンフランシスコは金融センターとして発展していく。

1929年大恐慌の発端となったウォール街の大暴落時にもサンフランシスコの銀行は一つも破綻しなかったそうだ。

 

1930年代にはサンフランシスコ・オークランドベイブリッジやゴールデンゲートブリッジが建設される。軍事施設だったアルカトラズ島が連邦刑務所となり、2度目の万国博覧会も開催されるなど戦争の負の影響をあまり感じさせず発展が続く。

 

逆に海軍造船所はハブ拠点となり、雇用が増大。特にアフリカ系アメリカ人の移住が進む。戦後も軍事産業で勤務していた労働者や復員兵達がそのまま居住し人口の高止まりは続く。1945年サンフランシスコ平和条約が締結された。

 

1950年代はビートジェネレーションの作家、1960年代はヒッピー文化の中心地となる。

一方、重要な産業であった港湾事業は徐々にオークランドへ移って行き、それに伴って製造業も数を減らしていった。変わって観光業の存在感が増していく。

 

現在は超高層ビルに近代化された町と発展の歴史を記す史跡、そしてIT企業が町の特色であると言える。

 

長くなったのでサンフランシスコの観光地については次回にしよう。