目次
1.忍路漁港
余市港を出て札幌への帰路。
時間はまだあるので寄り道を続ける。
次は小樽市の忍路(おしょろ)地区へ。
この辺りは通ったこともない初めての場所。
数年前にできた国道五号線の新しい交差点。
細い道を通って港へ向かう。
駐車場は立入禁止。港の隅に一台だけ車を停めることができそうなスペースがあったので、ちょっと置かせてもらう。
ふらふらしているとパトカーがやってきて、すぐに立ち去って行った。
通報されたか監視カメラでもあるのかもしれない。
穏やかで静かな入江。
地図を見ればわかる通り湾の中の湾の中の入江といったような、複雑な地形になっている。海の中にぽつんと佇む岩が景色のアクセントになっている。
防波堤には漁船が並んでいた。港の入口は東西を岬に挟まれ、門のようになっている。
遠くに見えるのは余市のシリパ岬。
漁港からの帰り道、高台から海を見下ろせるスポットがあった。
忍路半島の最北端、竜ヶ岬方面を望む。
場所はこの辺
小樽方面を見下ろす。海沿いはかつて国道5号線の旧道だった。
今は立入禁止。幾度となく通って何も感じていなかったこの道も、行けなくなると愛着が湧いてくるから勝手なものだ。
ちっちゃな青紫の花が咲いていた。何の花だろう。
2.忍路の歴史
忍路半島は海底火山の中心部が半島状になった地形。
安山岩の枕状溶岩や火山角礫岩、水冷破砕岩(ハイアロプラスタイト)などが露頭している。
18世紀中頃、西川家がオショロの場所請負人となり、和人が本格的に進出していく。
湾の中央に運上屋を設置し交易の拠点としていた。
今だとこの辺りだろうか。
明治になると忍路郡蘭島村・忍路村・塩谷村・桃内村が設置される。
郡の名前になっていることから、忍路地区がこの辺りの中心であったようだ。
明治初期には弁財船が出入りし、港は賑わっていたらしい。
1878年(明治11年)小樽余市間の山道が開削され、水運に代わって陸運が発達し始める。
半島の先にあった忍路は徐々に賑わいを失っていったようだ。
ニシン漁も漁獲は減少傾向にあったらしい。
1890年(明治23年)大火で村の大半の建物が延焼。
村名は塩谷になってしまった。
明治の終わりには北大の臨海実験所を誘致。
今もレトロな建物が残る、現役の研究施設だ。
時代は飛んで1958年(昭和33年)塩谷村は小樽市と合併し忍路郡の名も消えた。
一方で港や防波堤の設備が改良され、今は小さな港と小さな集落があり、別荘も点在しているらしい。