目次
1.万字炭山駅跡
万字線の終着駅、万字炭山駅を目指す。
その名の通り、炭鉱のすぐ側にあった駅である。
跡地は炭鉱を含めて公園に整備されいてる。
道道38号から脇道へと向かう。
万字小学校からは戻る形となる。
万字炭山森林公園と書かれた看板に示された細い道へ行く。
小さな橋を渡ると
建物跡らしき遺構があった。事前に得た情報ではここに駅があったらしいのだが、正確にはわからない。
先へ進むと公園の管理棟があった。
かなり広い公園である。
うっすらとズリ山の頂上らしき場所が見えたが、だいぶ高い位置だった。
並木道と青い空。
炭鉱が稼働していた時は人でごった返していたのだろう。
今は人影もなければ、物音一つしない。
所狭しと家が並んでいる。
山奥ではあったが、寂しさとは無縁だったであろう。
ボタ山とズリ山は同じ意味で、商品にならない質の悪い石炭を廃棄してできた山である。
駐車場。
紅葉の時期はさぞかし色鮮やかだろう。
公園を歩いてみようかと思ったが、熊が怖くてやめた。
川一つ向こうには人家があるのだが、この辺りはすでに人間だけのエリアではない気がした。
万字炭鉱は地質条件が良くなく、地盤が脆弱で出水も多かった。
1976年の台風による坑道の水没から復旧できないまま閉山を迎えたそうだ。
今では100人に満たない人口が住むばかりとなった万字地区であるが
これだけの町名を持つ大きな町であった。
万次大平・幸町は農耕地。万字仲町は商店街。万字曙町は新市街となっていった。
当初は朝吹家という個人が開いた炭鉱であったが、北炭に譲渡される。
朝吹家の家紋であった卍にちなんで万字という地名になったという。
とりあえず、廃線跡巡りは終了。
夕張方面に抜けることもできるが、来た道を戻ることにした。
もう一か所行ってみたい場所がある。
2.万字炭山駅と近隣の歴史
2020年5月追記
1905年頃北炭が採掘に着手。
選炭場が高台にあり、夕張市の丁未まで高架索道で送炭していた。
駅開業は万字線開通後の1914年。当時は貨物専用駅。
炭鉱に隣接し広い構内と多くの側線を持つ駅であった。
1924年旅客荷物の取り扱いを開始し一般駅となる。
万字炭鉱は複雑・脆弱な地質で出水が多かった。
1950年代には坑内の水没も発生。出炭量が安定せず1960年には北炭から分離。
1970年専用線発着以外の貨物取扱廃止。
1976年台風による出水から復旧ならず炭鉱が閉山。万字線の存続に大きな影響を与えることとなる。
2013年駅舎解体となった。
国土地理院地図の1970年代後半航空写真
駅舎からホームはかなり離れていたらしい。
現在ホーム跡は藪の中だろう。
同じく1960年代の航空写真。
上の写真と比べて炭鉱の設備が大規模に見える。
最盛期は1950年代、5000人以上の人口を数えた集落であった。