地球絶景紀行 ― ザクセン州 ―

今回の地球絶景紀行はドイツのザクセン州へ向かう。

wikipedia:ドイツ

wikipedia:ザクセン州

 

ドイツは人口約8千万人。

そのうちザクセン州は400万人ほどである。

旧東ドイツに属しておりチェコポーランドと国境で接している。

 

今回はライプツィヒそしてドレスデンを訪れた。

 

最初に訪れたのはライプツィヒ

wikipedia:ライプツィヒ

人口は約50万人。

神聖ローマ帝国商都として栄えた。ニコライ教会やトーマス教会などが建てられる。

旧市庁舎も16世紀の建物だ。

その16世紀にはルターが活躍し、ライプツィヒプロテスタントの町となった。

18世紀以降は音楽の都として栄える。

バッハやメンデルスゾーンが活躍し、現在でも彼らの足跡をたどる博物館で展示物や演奏に触れることができる。

また、バッハは教会音楽監督という肩書を持っており、彼が指揮していたトーマス教会少年合唱団は現在もなお活動を続けている。

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新市庁舎も竣工は100年前。貫録たっぷりである。

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続いてはドレスデンへ向かった。

wikipedia:ドレスデン

人口は約50万人。ザクセン州の州都である。

ドレスデンが最も栄えたと言われるのはポーランド王アウグスト1世の時代と言われている。

その後はザクセン王国の首都でもあった。

第二次大戦で徹底的に爆撃を受け、歴史的建造物も被害を受けた。

当時ドイツ軍の捕虜であり、この爆撃を経験したアメリカの小説家カート・ヴォネガトジュニア(太田光の心の師)の作品スローターハウス5も有名である。

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ソ連占領下の東ドイツ時代は放置されていた。ドイツ統一後、がれきを集めて復元するという世界で最も難しいジグソーパズルによって見事再建された聖母教会をはじめとして数多くの歴史的建造物が復元されている。

 

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古い街並みの中にあってエルベ川ドレスデンの風景のアクセントとなっている。

 

ドレスデンも文化が栄えた町であった。

ツヴィンガー宮殿内のアルテマイスター絵画館にはラファエロルーベンスレンブラントなどの絵が並ぶ。

ゼンパーオーパーという愛称のオペラ座も歴史が古い。

ロベルト・シューマンが円熟期を過ごした地でもある。

ワーグナーも宮廷歌劇長としてアウグスト1世に仕えていた。

 

現在の工業先進国ドイツにとっては西部とは異なる歴史をたどってきた古都ザクセン州

特に風景や文化で違う香りをかんじることができるだろう。

 

世界ふれあい街歩き ― ダブリン ―

今回の世界ふれあい街歩きアイルランドの首都ダブリン。

wikipedia:アイルランド

 

アイルランド島に位置する人口450万人ほどの国だ。

北東部の6州はイギリスに属している。

1931年にイギリスより独立を果たす。

一時は800万人を超す人口だったが、1800年代に飢饉などの影響で主にアメリカへの大量の移民が発生し、人口は激減した。

北海道と同じくらいの面積であり、メキシコ湾流と偏西風の影響で1年を通して気温の変化が少ない国である。

かつては西欧の最貧国であったが1990年代からEU統合などの影響で飛躍的に経済が発展し、人口あたりのGDPも世界トップレベルとなった。

 

 

wikipedia:ダブリン

 

ダブリンはアイルランドの東部海岸沿いの港町である。

人口は100万人を超え、都市圏で見るとアイルランドの全人口の約3分の1を占める。

ノルマン人やデーン人、イギリス人とアイルランド人との間で幾度も戦いがあり支配者が目まぐるしく変わった地である。

 

古くから現在に至るまでアイルランドの政治、経済、文化の中心地であった。

観光名所も数多い。

 

ダブリン城

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10世紀には砦が造られていた。現在の建物は18~19世紀にかけて建てられたものでありイギリスの総督府もこの場所に置かれていた。

 

聖パトリック大聖堂やクライストチャーチなどカトリックの教会も有名である。

 

エリザベス1世が創設した大学(トリニティ・カレッジ)には英語圏でも最古の大学の一つである。

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ガリバー旅行記の作者ジョナサン・スウィフトオスカー・ワイルドなどが卒業生である。

ここに所蔵されているケルズの書は1200年前に作られ、世界で最も美しい本と言われている。

 

他にも歴史的な建造物が市街地に多く並んでいる。

特徴的なものと言えば文豪がらみの建物か。

前述の二人の他にもジェームス・ジョイスなど文豪を多く産んだ国である。

文豪達の銅像や博物館、彼らが通ったカフェやパブなどを見て回るのも一興だろう。

 

パブと言えばアイルランドはアルコールも有名である。

ギネスビールやアイリッシュウイスキーのジェイムソンなどは世界的に有名である。

ダブリンではどちらも製造工程を見学できる施設が存在する。

日程に余裕があれば見て飲んで、見て飲んでツアーを組むのも楽しいに違いない。

アイリッシュたちと肩を組んで酒を酌み交わすことができればもう立派なアイルランド通だね。

喜茂別町 ― アスパラと山はグリーンとホワイト ―

本日は喜茂別町について調べてみた。

wikipedia:喜茂別町

 

人口は約2千人。

道の駅は道内で7番目に登録された。

 

道の駅は中山峠の札幌との境付近にある。

幹線道路の峠道で唯一に等しい休憩スポットのため道路の反対側の峠の茶屋と共に大盛況の道の駅である。

道の駅には無料で入れる美術館が併設し、奥にはスキー場もある。

市街地からは離れているものの、喜茂別町の観光スポットともいえるだろう。

ここからの羊蹄山の眺めがカントリーサインになっている。

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この中山峠、あまり線形が良くなく道路幅も広くなければトンネルも古かったりするのだが、交通量が多く24時間の平均交通量は1万台を超える。

明治時代に東本願寺が主となって開削を進めた道路である。

 

峠を降りて市街地に入ると「郷の駅きもべつ」という商業施設も設置された。

野菜直売所や飲食店が入っている。

喜茂別の主幹産業は農業。特にアスパラガスが有名である。

日本で初めて大規模にアスパラの生産を始めたのが喜茂別町ということだ。

岩内町が先に栽培を始めたが喜茂別の方が適した土地だったらしい)

初めは土寄せして栽培するホワイトアスパラが主流だったそうだが、いつしかグリーンアスパラの生産が多くなったとのこと。

5月から7月が旬である。

 

喜茂別の市街地は札幌から中山峠を越えて走る国道230号線と江差町から岩内町を抜けて苫小牧市へ向かう国道276号が交差している。

札幌・後志・胆振分水嶺となっている街でもある。

かつて国鉄時代には胆振線という倶知安駅から伊達紋別駅へ向かう路線も町内に存在したが1986年に廃線となった。喜茂別駅跡は住宅街となっており片隅に記念碑が建っている。

 

喜茂別町のシンボルと言えばやはり蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山であるが、もう一つ羊蹄山とよく似た形の尻別岳もなかなか有名である。前方羊蹄山とも呼ばれ、二つの山が並んだ姿は双子の羊蹄山のように見える。

喜茂別町内では中里地区辺りからの眺めが有名か。

 

一番のおすすめはやはり新緑の季節だそうだが、空気の澄んだ冬の晴れた日も絶景である。

 

空から日本を見てみよう ― 東京の下町 ―

今回の空から日本を見てみようは東京の下町へ。

 

まずは千代田区の神田。

wikipedia:神田

千代田区の北東部に位置する。

かつては神田区麹町区が存在していたが、1947年両区が合併し千代田区となった。

銭形平次や半七捕物帳の舞台となった。

また、手塚治虫作品のマルチプレーヤーであるヒゲオヤジ氏も神田出身である。

江戸時代には北辰一刀流の道場や蘭塾もあった。

その流れをくんで、現在でも大学が多かったり古書店が並ぶ町である。

江戸時代から庶民の町であり、かつては日本一の青果市場と謳われた神田青果市場も存在した。

 

 

続いては中央区日本橋

wikipedia:日本橋

かつては日本橋区も存在した。

現在は日本銀行本店や東京証券取引所が立地する。

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老舗百貨店や問屋街、製薬会社なども多く並ぶ地区であり、江戸時代の金座・銀座から続く商売の町である。

 

続いては築地。

wikipedia:築地

 

 旧京橋区の一部にあたる。

江戸時代に埋め立てが行われ、海軍や卸売市場が創設された。

幕末には勝海舟が勤務した軍艦操練所が設置された。

 

最後は台東区

wikipedia:台東区

 

人口は20万人くらい。

都内で最も古い市街地の一つであり、戦火を逃れた大正・昭和初期の建物も現存している。全体的に商業地が多く住宅地は少なめである。

下谷区浅草区が合併して成立。

台東という名は都知事の推薦で決まった。両区に関係のある文字を使い、中国の康熙時点に載っている瑞祥地名でもあることから決まったらしい。

 

推古天皇の時代に開かれたとも言われる浅草を筆頭に蔵前、人形町、馬喰町など古くから商売の町として栄えてきた。

また、北関東や東北からの玄関口の上野も台東区である。

 

我々北海道民にとっては別の国のような東京都であるが、それは未来都市のような巨大建造物の群れと対照的な下町文化が混在し、莫大な人数が自在に両方を行き来する目まぐるしさについていけないのだろう。

 

 

 

地球絶景紀行 ― 桂林 ―

今回の地球絶景紀行は中国・桂林。

広西チワン族自治区内に位置する。

wikipedia:広西チワン族自治区

 

人口は約4900万人。

チワン族はそのうち約3分の1を占める。

南部はベトナムと接している。

チワン族は中国最大の少数民族であり、古くから漢民族の国家に組み入れられてきた。

多くの人はチワン語と中国語を話す。

道教の信仰が多い。

 

今回は最大の観光地、桂林に向かう。

wikipedia:桂林

 

 代表的なカルスト地形であり、タワーカルストが林立している。

奇岩と水辺の風景をあちこちで見ることができる。

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まさに山水画の世界であり、実際桂林美術館には数多くの山水画が貯蔵されている。

 

 

 龍勝棚田や蘆笛岩の鍾乳洞も有名な観光地である。

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鍾乳洞内部はライトアップもされており、幻想的というか異世界のようだ。

 

しかし、桂林最大の観光と言えば璃江下りか。

桂林から陽朔までの川下りの道中は動く画廊と言われるほどである。

海の底が隆起し、風雨で削られて作られた奇岩が並ぶ。

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流域の風景はサントリーのウーロン茶や20元紙幣にも描かれている。

知らず知らずのうちに見ているわけだ。

 

この番組を見ていると中国の風景の奥深さを思い知る。

もちろん日本の風景を全て知っているわけではないのだが。

中国に旅行に行きたいと思ったことはなかったけれど、少なくとも景色は見る価値があるなと思うようになった。