目次
1.ウィーンの概要
今日は2008年9月25日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたオーストリアの首都ウィーンについて調べてみた。wikipedia:ウィーン
人口は約185万人。
街の始まりはローマ帝国時代の宿営地と言われている。
ドナウ川に面する交易地となり、1155年にオーストリアを治めていたバーベンベルク家がウィーンに遷都。
14世紀、ウィーンは大きく発展を遂げ現在の名所となっている建築物が建ち始める。
16世紀になると神聖ローマ帝国皇帝を始め中欧各王国の王位を相続し、広大な帝国を築く。支配階級はドイツ系であったが、構成比は少なく、多民族国家であった。
19世紀には産業革命の影響で人口も激増。ヨーロッパでも屈指の規模を誇る町となる。
20世紀初頭、ドイツと共に第一次世界大戦で敗戦国となり帝国は解体。さらに第二次世界大戦後かつての後背地であった東欧諸国とのつながりを失い、人口100万人以上の都市としては異例の人口減少を経験する。
ベルリンの壁崩壊後は中央と東欧の結節点として再び価値を見出され、プラハやブダペストと共に多国籍企業の進出も相次いでいる。
2.ウィーンの観光地
ウィーンで最も重要な観光資源と言われるのがシェーンブルン宮殿。
神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世がヴェルサイユ宮殿に対抗するべく建設を計画。
実際には資金難などで計画よりは簡素になったがマリア・テレジア時代に完成。
モーツァルトとマリーアントワネットが幼いころに出会ったと言われるのもこの場所だ。代々夏の離宮として好まれた。
宮殿の敷地には広大な庭園や世界最古と言われる動物園もあって毎年数百万人の観光客が訪れる。
一方政治の中心だったのがホーフブルク宮殿。 600年以上ハプスブルク家の居城であり現在もオーストリア大統領官邸や国立図書館、アルベルティーナ美術館などが入る複合施設となっている。
国立図書館は16世紀以降に記された20万冊に及ぶ蔵書を誇り、大広間をはじめとする豪華絢爛なバロック様式の装飾も見どころだ。
アルベルティーナ美術館はマリア・テレジアの義理の息子アルバートのコレクションを中心にモネやセザンヌ、シャガールにピカソなどの常設展示されている絵画が中心。
周囲にもウィーン自然史博物館、美術史美術館、レオポルド美術館などミュージアムが並んでいる。
音楽の都ウィーンを代表する建物が国立歌劇場。建設当初から現在に至るまでオペラ、管弦楽の聖地と言える位置を占め続けている。ワーグナーやシュトラウスも初演ではないが公演を行っていた。
その歌劇場と同じ時期に建てられたのがウィーン市庁舎。
ゴシック・バロック様式の建築デザインをベースに、特に105mの尖塔がシンボルとなっている。
ヨーロッパの都市らしく教会建築も忘れてはいけない。ハプスブルク家の代々の墓所であり、モーツァルトの結婚式も行われたシュテファン大聖堂や9世紀からあるといわれるパイプオルガンが名物の聖ペーター教会などが挙げられる。
これらの歴史的建造物が集中している地区から少し南にあるのがベルヴェデーレ宮殿。
ハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが夏の離宮として建設し、彼の死後にハプスブルク家の所有となった。現在は美術館となっている。
最後にちょっと変わり種の建築がクンストハウス・ウィーン。
画家のフンデルトヴァッサーが建築した超個性的なモノクロの外壁とカラフルな窓や室内のタイルが特徴的なカフェ&美術館。