新旧廃線跡を往く ― 日高本線春立駅跡 ―

目次

 

 

1.春立駅

海岸線に沿う国道235号線を引き続き進んで行く。

次の目的地のある集落が見えてきた。

郵便局や漁港を通り過ぎ、国道を左折してやってきたのは春立駅(はるたちえき)跡。

 

 

付近の風景は、どことなく東静内駅と似ている。

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春立駅の待合室。向かって左半分をもぎ取られたような形。

減築したのだろうか。

 

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様似方面。ホームは立入禁止。

草が伸び放題で様子がわからない。

 

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駅前にはおなじみの倉庫。

現役かどうかはちょっとわからない。

 

2.春立駅と近隣の歴史

静内の開拓は明治初め、徳川幕府と関係の深かった増上寺の管轄となった。

その後すぐに、徳島藩蜂須賀家の淡路洲本城代家老であった稲田家が移住して開拓を行うこととなった。

当時淡路島は徳島藩の領地であったが、幕末に色々といざこざがあり上記の移住につながったそうだ。そして淡路島も徳島から兵庫県域に変更となる。

この事件を庚午事変という。吉永小百合豊川悦司渡辺謙などが出演した映画北の零年はこの移住から開拓の困難を描いた物語である。

 

話が逸れたが、船で移住してきた稲田家家中の人々が上陸したのがこの春立であった。

ここを拠点に開拓が始まったということで、元静内という地名がついていたらしい。

 

その後市街地は現在の静内中心部へと移っていく。

1900年頃の春立は50人ほどが住む漁業集落であった。

1920~30年代にかけて船入澗が築かれる。

 

春立駅は1933年日高線の静内~日高三石間延伸に伴い一般駅として開業。

 

1948年の国土地理院地図の航空写真。

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当時は2面2線の交換設備を持つ駅で、木材の搬送が主であった。

上の写真を見るとあまり大きな敷地はなかったようだ。

 

1977年貨物取扱廃止、旅客業務簡易委託化。

その後交換設備も廃止される。

 

1987年木造から貨車駅舎に改築。

その後完全無人化。

 

2000年現在の駅舎に改築。

2015年厚賀駅大狩部駅間の高波被害で運行休止。

2021年3月いっぱいをもって廃駅となった。

 

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