新旧廃線跡を往く ― 日高本線節婦駅跡 ―

目次

 

 

 

1.節婦駅

大狩部駅から再び国道に戻り、海岸沿いを沿って走っていく。

やがて国道から海側へ分岐していく道が現れるのでそちらに右折。

海沿いにある集落を進んで行くと次の目的地である節婦(せっぷ)駅跡だ。

 

 

 

小さな三角屋根でどことなく可愛らしい感じの節婦駅

f:id:kamonji224:20210605160555j:plain地の果てのようなロケーションだった隣の大狩部駅とはずいぶん違う。

そもそもの地名もオオカリベとセップで剛と柔のように対照的な雰囲気だ。

 

既に枠のみになってしまった駅名標の手前にはきれいな花壇。

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駅が役目を終えた後もずっと整備されてきたのだろう。

 

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駅前は小さなロータリーになっていた。

ここももう少しすると花が咲くのだろうか。

 

2.節婦駅と近隣の歴史

節婦地区は当初アイヌや和人の季節漁場であった。

大正初期に商店ができ始め、末期の1926年に日高拓殖鉄道厚賀駅静内駅延伸に伴って一般駅として開業。

昭和初期には漁港が新冠から移転してくる。

 

1940年頃には新冠市街よりも人口が増え、市街地は繫栄していた。

鉄道では木炭、木材、水産物などの搬出が盛んだった。

駅裏に製材工場も開業する。

 

国土地理院地図の1953年の航空写真

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構内は島式ホームに交換設備が設置されている。

駅裏には木材が積まれ、右下には漁港の防波堤も一部築かれている。

現在、駅裏は新冠町子ども発達支援センターになった。

 

1977年貨物取扱廃止及び無人化。

1987年のJR北海道民営化の頃、貨車駅に改築されたようだ。

その後2010年頃に現在の待合室に改築。僅かな期間で長期運休から廃駅の流れになってしまった。

ある程度の規模がある集落なのでバス待合室にそのまま転用されるのだろうか。

 

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