目次
1.旧長野商店
いしかり砂丘の風資料館は入館料300円。
見学した人は隣の旧長野商店もあわせて見学できるようになっている。
まずは外観
石狩市で現存する最古の木骨石造建造物。
920個の軟石を利用しており、瓦屋根やうだつなど日本の伝統建築とアーチ窓など西洋建築を取り入れた和洋折衷の建築様式である。
別角度から。
向かって左側にある黒っぽい店舗ができたのは1894年とのことだが、右側の白い石蔵はその10~15年前に竣工した札幌市の建築物と酷似しており、その頃にできた可能性があるそうだ。
それでは早速中を見学。
長野商店は新潟県出身の長野徳太郎が1874年に創業。
米、塩、呉服、反物の販売の他酒造業も営んでいた。八幡町に酒蔵があり、清酒・濁酒・焼酎を醸造していたそうだ。
当時の石狩は東北・北信越からの転入者が多く、戦前の漁業者の2/3が新潟出身の越後衆だったそうだ。
1955年の閉店後、石狩市に建物を寄贈。
元々は親船町にあったが、道路拡張などでこの場所に移築。
石狩町の繁栄を現在に伝える数少ない建物である。
2.石蔵
明治~大正期の店内を復元した店舗から、隣の石蔵に入る。
建物の建築時に使用されていた鬼瓦。
白石村の遠藤工場で作られたレンガが利用されている。
レンガ製造が盛んだった白石村の名残はこちら。
120年以上前の石蔵。ここには米・味噌・醤油・酒・砂糖が保存されていた。
木造の壁と屋根。綺麗すぎて歴史を感じない笑。
明治時代の石狩市街。内陸部への交通路であった石狩川の玄関だった。
鉄道や陸路が整備されるまで船が交通の中心。
運上屋から渡船場までが最初に市街地のできた本町地区。
ひなたGISより戦前と現在の石狩の地図。
水色の丸で囲んだところが渡船場。
対岸の八幡町も渡船場の近くが町の中心だった。
長野商店の構造。
要石に装飾のある石蔵と石をはめ込んだだけの店舗ではアーチ窓の構造が異なる。
外観軟石はV字の刻みこみが特徴的な薬研目地。
屋根の骨組みも異なるらしい。
石蔵土間の礎石。解体作業中に発見された。
3.ホタテイクラ丼
長野商店の見学後、せっかくなので屋台で昼食にする。
どこのお祭りにもありそうな屋台もあるが、石狩ならではの店も。
やはりサケがいいだろう、ということでイクラとホタテがのった少し小ぶりの丼。
プチプチのイクラと、甘くほのかにしょっぱく味付けされたホタテが上手い。