世界ふれあい街歩き ― アッシジ ―

今日は世界ふれあい街歩きで訪れたアッシジについて調べてみた。

放送は2006年10月10日

イタリアのウンブリア州に属する都市である。

 

ウンブリア州はイタリアで唯一海に接していない内陸の州である。

イタリアを縦貫するアペニン山脈が中心を貫き、丘陵にある都市が多い。

 

アッシジは州の中部に位置している。

wikipedia:アッシジ

 

 

アッシジの町はローマ帝国時代に礎を築かれた。

今も街中には城壁やコムーネ(市民)広場、ミネルヴァ神殿、円形闘技場などの痕跡が残っている。

 

町を見下ろす丘の上にあるのがロッカ(要塞)・マッジョーレ。アッシジだけでなく近隣の町も一望できる。有料ではあるが、古代の見張り台の位置から景色を眺めるとローマ帝国の面影を感じることができるかもしれない。

 

そして、アッシジが世界的に有名な都市となった理由がこれ。

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聖フランチェスコ教会。

カトリックの宗派の一つであるフランシスコ会の総本山である。

創立者である聖フランチェスコはこのアッシジで生まれた。

13世紀前半に隣町のペルージャとの戦争により荒れていたアッシジの町で貧しい人々を支援しながら布教を行う。日々の食事は托鉢で得ていた。(当時は珍しかったようだ)

エスの教えに徹底的に従い、人間以外の生き物も自分の家族のように愛した彼の思想は多くの人から尊敬され、数多くの伝説が残っている。

死後は聖人として列せられ、アッシジの地はローマに次ぐ巡礼の地として世界中から人々が訪れる場所となった。

 

彼の功績を称え、のちの教皇によって建てられたのが聖フランチェスコ教会である。

その後何度か改築され、今ではアッシジだけでなく、カトリック系の建物を代表する建築物となった。

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天気や角度が違うと色合いがだいぶ違って見える。

 

アッシジには聖フランチェスコの忠実な弟子であった聖キアーラにささげられた聖堂やフランシスコ会の発足の場所であるサン・ダミアーノ修道院、聖フランチェスコが洗礼を受けたサン・ルフィ―ノ大聖堂など彼に所縁のある建築物が並ぶ。

まさに聖地である。

 

上ノ国町 ― 天の川の通る町 ―

今日は上ノ国町について調べてみた。

wikipedia:上ノ国町

 人口は約5千人。

日本海に臨み、農漁業が盛んな町である。

 

日本海に沿って国道228号が町内を縦断する。

道の駅は市街地からやや離れたところに位置している。

海沿いで、眺めは最高。遊歩道も設けられており、天気のいい日は気持ち良いが車中泊をするにはちょっと寂しすぎるかもしれない。

尖岳を源流とする天の川が北西に流れ、町の中心部の近くで日本海に流れ込む。

上流にはブラックシリカという珍しい鉱物が産出する。岩盤浴などに利用されているようだ。

川に沿って集落が点在し、かつてはJR江差線も通っていた。

湯ノ岱駅跡は近くに湯ノ岱温泉がある。江戸時代末から記録が残る歴史ある温泉である。

 

湯ノ岱駅と宮越駅の間には天の川駅というモニュメントがあった。

設置したのはJRではなく民間の団体であり、正式な駅ではないのでもちろん停車することはなかったが、車窓から見える風景は江差線の名物の一つであった。

徐行運転もされていたようだが、江差線廃線後、ファイナルイベントと共に駅名標等は撤去されたそうだ。

 

上ノ国町の歴史は古く、北海道出羽人が最初に定住した地と言われている。

15世紀にはこの辺りに居を構えていた渡党野領主が道南十二館と呼ばれる館を築いた。

渡島半島の海岸線沿いに函館の志苔館から上ノ国町の花沢館まで点在し、軍事的拠点及びアイヌや和人の交易の場となった。

当時の上ノ国蝦夷地を代表する港であった。

コシャマインの乱などもあったが、乱を制圧した武田信弘が花沢館の領主である蠣崎氏を継ぎ、勝山館を築城している。

武田氏はその後松前氏となり、居城も松前に移る。また江差の港が徐々に大きくなり、上ノ国は桧山の中心から外れていくことになる。

 

勝山館が置かれていた夷王山にはガイダンス施設なども設けられている。

キャンプ場もあり、ランドマークになっている。

カントリーサインは和人を表す兜と、勝山館に居住していた人々の墓地をモチーフとしている。

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また、道の駅の裏手の海岸の窓岩と夕日も描かれている。

 

町内の色々なところから海に沈む夕日を眺めることができるだろう。

 

また、松前町との境付近にある小砂子(ちいさご)集落にある日方泊灯台も国道付近の高台からの眺めると、キラキラ光る海をバックにかなり良い景色だと個人的に思っている。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 奈良市 ―

空から日本を見てみよう。今回は2013年10月8日放送の奈良市について調べてみた。

まずは奈良県について

wikipedia:奈良県

 人口は130万人超

北西部の奈良盆地は大阪や京都のベッドタウンとしての性格も持つ。東部の大和高原は工業地域やベッドタウンでもあるが、自然の多いのどかな風景もある。

南部の吉野山地は奈良県の3分の2の面積を占めるが、険峻な山地であり、可住面積が狭く交通の便が悪い自治体も多い。

 

最初に訪れたのは生駒市

wikipedia:生駒市

 人口は12万人弱。大阪市奈良市のベッドタウンであり、特に大阪市への通勤率が高い。

生駒山地・矢田丘陵の山々に囲まれ平地が乏しい。

江戸時代真言宗の寺院である宝山寺門前町として発展した。

商売の神として大阪商人の信仰を集めた。日本最初のケーブルカーが設置された場所でもある。

産業としては小売業が中心であるが、茶筅の製造量が日本一である。

 

続いて奈良市

wikipedia:奈良市

 人口は約35万人。

市街地は平坦な地形である。

歴史の表舞台に登場するのは、710年平城京に遷都が行われてからである。

約70年間日本の中心地であった。長岡京への遷都後も有力な寺院が多く、南都と呼ばれ中世まで権力をふるった。

 

現在は古代の文化財が数多く残り、京都と並んで歴史都市として人気が高い。

 

鹿で有名な奈良公園内だけでも東大寺春日大社興福寺正倉院など国宝だらけである。

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東大寺と言えばやはり大仏。

 

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数多くの建物が国宝

 

f:id:kamonji224:20171221225033j:plain天武天皇開基の薬師寺

 

この他にも孝謙上皇の建立した西大寺や鑑真和上の建立した唐招提寺など枚挙にいとまがない。

 

修学旅行で訪れた人も多いだろうが、大人になってから再度訪れるとまた違った興味を掻き立てられる気がする。

 

 

 

地球絶景紀行 ― アンコール・ワット ―

今日は2011年3月25日に放送された地球絶景紀行。

カンボジアアンコール・ワットを中心とする遺跡群について調べてみた。

wikipedia:カンボジア

 人口1500万人。首都はプノンペン

主要な産業は一次産業であるが、近年は観光・縫製産業が盛んである。

国土の中央部に東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖があり、東部には国際河川であるメコン川が流れている。

 

このトンレサップ湖の北辺にあるのがアンコール・ワット遺跡群である。

湖周辺には世界最大規模の水上生活者の集落があり、漁業や浮稲の栽培などで生活している。

 

アンコール・ワットシェムリアップ州に属する。

州都の名も州名と同じくシェムリアップであり、アンコール・ワット観光の拠点となっている。

 

アンコール・ワットは近辺に広がる遺跡群を代表する建築物であり、ヒンドゥー教寺院建築に分類される。

アンコールとはサンスクリット語で王都。ワットはカンボジア母語であるクメール語で寺院を意味する。

カンボジアの国旗にも同国の象徴として中心に描かれている。

 

12世紀にアンコール王朝によって建築された。アンコール王朝の滅亡後は荒れ果てていたが16世紀に仏教の寺院として改築される。

 

その後はフランス領土時代も貴重な遺跡として保存されてきたが、カンボジア内戦の最中に大きく損傷を受ける。

内戦の終結と共に、世界各国から支援を受けて復旧が進んでいる。

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聖池に映る大伽藍(僧侶たちが集まって修行をする場所)・堂宇(神仏を祀ってある場所)

 

アンコール・ワットだけでも巨大な遺跡であり、じっくり眺めれば一日かかるが、この遺跡群は当時の都がすっぽり遺跡になったものであり、極めて広大な地域に遺跡が点在している。

 

ここで全てを紹介することはとても不可能だが、一つだけ画像を載せることにする。

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ベンメリア遺跡。

アンコール・ワットから東に約40km地点にある、発見された時にはかなり崩壊されていた遺跡。

一応見学は可能である。

調査はまだまだこれからのようだが、アンコール・ワットより幾分前に造られたらしい。全貌が明らかになればアンコール・ワットをしのぐ規模ではないかと言われている。

 

周囲はジャングルに囲まれ、観光は毒蛇・地雷に注意のまさに廃墟探検である。

冒険野郎ならルールを守って訪れてみるといいだろう。

 

世界ふれあい街歩き ― チェスキー・クルムロフ ―

今日は2006年9月19日に放送された世界ふれあい街歩き

チェコのチェスキー・クルムロフという町について調べてみた。

wikipedia:チェスキー・クルムロフ

 

チェコの中西部ボヘミア地方の南ボヘミア州に属する小さな町である。

 13世紀、モルダウ川沿いに建築され、15世紀に神聖ローマ帝国領となる。

ルネサンス様式、バロック様式の建物が多かったが、ナチス・ドイツによって破壊され、その後の共産主義時代も荒廃したままであった。

1960年のプラハの春、そして1989年のビロード革命後は改めて建造物の価値が見直され、修復が進む。

現在では世界で最も美しい町ともいわれるようになった。

 

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中世の雰囲気香る街並みを散歩するだけでも楽しいのだが、ランドマークはやはり クルムロフ城と聖ヴィトウス教会。

町を見渡し、多様な時代の建築様式を眺め、庭園を散歩していると果たして今はいったいいつなのかわからなくなりそうである。

また、チェスキー・クルムロフの町にはなぜかだまし絵が多い。

 

おとぎの国のような不思議な町である。