地球絶景紀行 ― ハンガリーの世界遺産 ―

今日は2012年6月1日放送の地球絶景紀行で紹介されたハンガリー世界遺産について調べてみた。

 

最初はホッローケー村。

ハンガリーで最も美しい村と言われる。

白い壁の家々が特徴的。

 

泥と藁で築き、石灰を塗りレースのような飾りがついた壁。

東アジアでよくみられる入母屋造の屋根と家紋を象られた破風の木製飾り格子。

これらの特徴を有するパローツ様式という独特の建築用法が保存されてきたことが評価され世界遺産となった。

観光地にもなった現在では民族衣装も人気である。特に女性の衣装は華やかで可愛らしく観光客向けの民族舞踊や菓子作りなどの際にも着られている。

 

この地は低い山脈が連なる一帯の渓谷に位置し、カスピ海方面からモンゴル軍の支配を逃れてやって来た人々がルーツと言われている。

 

続いてホルトバージ国立公園へ。

ハンガリー最大の自然保護地区であり、巨大な牧草地となっている。

多様な野生動物の生息地にもなっているほか、伝統的な遊牧民ハンガリー固有の家畜たちを見ることができる。

 

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長く尖った角が特徴的な灰色牛。

 

スクリューのような角を持ったラツカという羊や丈夫な足を持つノーニウスという馬、全身を巻き毛で覆われたハンガリーの国宝、マンガリッツア豚など少し不思議な姿の家畜たちを眺めるのも楽しい。

 

また遊牧民の人々による馬術ショーも目を奪われること間違いなしだろう。

 

 

世界ふれあい街歩き ― バレンシア ―

今日は2008年5月22日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたスペインのバレンシアについて調べてみた。

wikipedia:バレンシア

 

 

スペインで3番目の人口を持つ、ローマ帝国時代に建設された都市。

トゥリア川の河口に位置する。

気候は温暖で降水量が少ない。

ヨーロッパでも屈指の貨物量を誇る港であり、地中海沿岸では最大である。

 

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西暦700年代にイスラム朝の支配下となる。

1238年にレコンキスタによってキリスト教アラゴン王国が奪還する。

 

イスラム教のモスクを改宗したバレンシア大聖堂は何世紀にも渡って建設が行われ、幾つもの時代の様式が混在している。

目印はミゲレテの塔。

 

15~16世紀には地中海の交易都市として栄華を極めた。

地場産業としては繊維産業が活発で、当時建てられた絹製品取引所ラ・ロンハ・デ・ラ・セダは古城を思わせる荘厳な建物で、内部の装飾も評価が高く観光名所の一つとなっている。

 

また、当時城壁に囲まれていたバレンシアへの入口だったのがセラーノスの塔。

現在は階段で上に登ることができ、町を一望できる。

 

現在のバレンシアのシンボルともいえるのが芸術科学都市。

トゥリア川の大洪水後に川の付け替え工事を行い、公園となった旧川床に建てられたミュージアム群。

オペラハウス、プラネタリウム、彫刻庭園、科学博物館、水族館といずれもヨーロッパ最大級の規模を誇る。

 

少し離れた場所にはファージャスと呼ばれる火祭り博物館。

毎年3月に開催される人形(ファージャ)が立ち並び、最終日には優勝作品以外は燃やされていしまうというお祭り。その歴代優勝作品が展示されている博物館である。

 

バレンシア名物の一つが陶器。

陶芸技術はアラブ人よりスペインに伝えられた文化の一つ。

バレンシア近郊は土と用水路に恵まれていたため、陶器製造が特に盛んであったとされる。

ゴンサーレス・マルティ国立陶器・装飾芸術博物館は陶磁器や伝統衣装・家具などの展示で文化史を学ぶことができる。

 

その他にもノルテ駅、バレンシア闘牛場など特徴的な建築物が数多い。

 

また、中心部から南にあるアルブフェーラ自然公園は地中海に面した塩水の混じる潟を中心とした公園。

多様な動植物の生息地、また渡り鳥の貴重な中継地として極めて環境的価値の高い地域である。

 

 

 

苫小牧市 ― 二次産業の雄 ―

今日は苫小牧市について調べてみた。

wikipedia:苫小牧市

 

 

人口は約17万人。

北海道内では4番目の規模となる。

夏は涼しく、冬は比較的温暖で降雪量が少ない。

スキーよりもスケートやアイスホッケーが盛んだ。

 

JR室蘭本線千歳線日高本線が市内を通っている。

沼ノ端駅から隣町の白老駅までは日本一長い鉄道直線区間(28.7km)になっている。

かつては沼ノ端駅から富内線も分岐していたが、太平洋戦争中に路線変更、廃駅となった。

 

札幌から室蘭をつなぐ国道36号、岩見沢と繋がる国道234号、日高方面へ向かう国道235号支笏湖を経由して日本海へ向かう国道276号及び453号と各方面への国道が満遍なく伸びている。

 

道の駅は国道36号沿い、ウトナイ湖に面した場所に建っている。

ウトナイ湖美々川勇払川の合流地点付近の湿地帯の中で最大の沼。

渡り鳥の中継地点となっており、中にはここに居つくものもいる。

 

苫小牧市の自然風景でもう一つ印象的なのが樽前山

支笏湖の南側に位置する活火山で、明治時代の噴火でできた山頂の溶岩ドームが特徴的。

アイスホッケーのプレイヤーと共にカントリーサインにも描かれている。

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樽前山の南には樽前ガローという風水で削られた渓谷がある。

斜面に苔が張り付いた神秘的な景色が秘かな人気。

 

メジャーな観光地としてはノーザンホースパークソ連の宇宙ステーション「ミール」の予備機が展示されている苫小牧市科学センター、市街と太平洋を一望できる緑が丘公園、一年中キャンプを楽しめる錦大沼公園など。

 

苫小牧市と言えばやはり第二次産業の町である。

古くは明治時代に王子製紙企業城下町として発展、製紙産業が盛んであった。

その後苫小牧西港の開港により、非鉄金属石油化学・自動車関連などの企業や工場の立地が進む。

貨物量において、港湾取扱量は全国4位、内航取扱量は全国1位、北海道の港での取扱量の50%を占めるという道内随一の巨大港湾である。

 

西港は世界初の堀込内陸港湾という土木的にも大変価値のある港である。

堀込港湾とは直線に近い海岸線を内陸部に堀込み、人工的に作られた湾を利用する港である。

厚真町にある東港と合わせ、この港湾が現在の苫小牧市を形作ったと言っても過言ではないだろう。

 

 

 

風月本店 ― だんらんセット ―

某月某日。

この日はお好み焼きが食べたくなり、久々に外食。

中心部に出かけるのは自粛して、人混みとは縁遠そうな位置のこちらへ。

 

 

風月本店。

札幌でお好み焼きの第一人者と呼ばれるお店。

大き目の商業施設によく入っているが、本店はここ山鼻地区にある創業地。

 

昭和42年創業、半世紀を超える歴史を持つお店。

海外進出も検討しているらしい。

 

今回は家族で訪問。

市電や地下鉄の駅も徒歩圏内なので飲酒も可能です!

 

学生時代から札幌駅周辺の店舗は何度も訪れたことがあるが、本店は初めて。

わりと小さめなお店で常連が多そうな雰囲気。

椅子席4人掛けに通される。

 

だんらんセットというメニューを選択。

お好み焼2種、焼きそば1種、鉄板焼き1種を選んでドリンク付きという店員さんおすすめのメニュー。

 

まずはお好み焼き。デラックス(エビ、イカ、ブタ+トッピング1つ選択、今回はチーズ)と広島風を選ぶ。

お好み焼きは焼けますかと聞かれる。しばらくやったこと無いですと言うとじゃあ店員が焼きますとのこと。

その方が確実に美味しいよね。子供がもう少し大きくなったら自分で焼くのも楽しいかもしれない。

 

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まずはタネを鉄板に。

広島焼なんて食べるのはいつ以来だろう。

 

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ひっくり返して焼きそば投入。

ちょいと太目の麺。

 

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目玉焼きを入れて、ソースをかけて、鰹節がふりかかって広島焼完成。

同時に鉄板焼きのシーフードホイル焼きが到着。

 

島風をいただく。

もちもちした太目の麺もお好み焼きも使う小麦は道産とのこと。

イカもたっぷり入ってボリュームに満足。

 

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といってる間にオム焼きそば登場。

これは厨房で作って持ってきてくれる。でかい!!

余ったら持ち帰り可能なので安心して好きなだけ頼める。

 

そしてお好み焼きも完成。

広島焼に比べるとシンプルではあるが、それでもデラックスなだけあって具のインパクトが大きい。生地はあまり主張しすぎず、黙々とゲームメイクに勤しむボランチのような仕事ぶり。

 

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そしてホイル焼き完成。

イカ、エビ、しめじが湯気を立てて開封される。

味付けは控えめなので、ソースをかけるもよし。焼きそばと併せて食べるもよし。

 

食べてる間に結構お客さんが来てた。老若男女問わず。

近くの席にいた小柄なおばさん2人組も結構な量を注文してたね。

まあ美味しいから箸が進むのはわかる。

結局我々も全部食べ切ったし。

 

未就学児にはおもちゃ一個プレゼントあり。

商業施設に入っている支店とは違う、下町の老舗の貫録が漂うお店だった。

さあ、帰ろうか。

 

 

空から日本を見てみよう ― 岡山市 ―

今日は2015年2月10日放送の空から日本を見てみようで紹介された岡山県岡山市について調べてみた。

wikipedia:岡山市

 

人口は約72万人。

中国地方では2番目に大きな市である。

 

北部はなだらかな丘陵が続く吉備高原に属し、南部は干拓地を含む平野が広がる。

平野部は穀倉地帯となっている。

降水日数が最も少ない県庁所在地である。

 

政令指定都市であり、4つの行政区にわかれている。

まずは北区。

 

面積、人口共に最大であり市の中心部も含んでいる。

中心部はかつての岡山藩の城下町であった。

 

岡山城は明治後の取り壊しや空襲などでほぼその姿を失い、戦後天守などが再建された。

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戦国期には宇喜多家の居城であった。

五大老の一人であった宇喜多秀家関ケ原の戦いに敗れ、島流しとなった後は小早川秀秋、さらに織田信長の家臣であった池田輝政の子孫が代々城主となる。

 

天守の北西にある月見櫓は唯一現存する江戸期の建物である。

また一帯は烏城公園という公園となっている。

旭川の向こう側には江戸期に庭園が造られ、明治の初めに後楽園と名づけられた。

現在でも日本三名園に数えられ、岡山城と共に岡山市のシンボルと言える。

 

北区北部は古代の吉備国に属する。

大和国出雲国と並んで強大な勢力であったとされる地域であり、豊かな地勢であったことが推測される。

津島遺跡は全国で初めて弥生時代の住居と水田跡が同時に発見された遺跡。

造山古墳は全国第4位の大きさで、一般人が立ち入りできる墳丘では最大である。

 

また吉備津神社など古社も鎮座し、吉備国の中枢であった名残が今も残る。

隣の総社市も含む一帯は吉備路と称せられ県内でも有数の観光地となった。

 

また豊臣秀吉の水攻めで有名な備中高松城の跡も残っている。 

 

足守地区には江戸時代の街並みが保存されており、福沢諭吉が学んだ緒方洪庵の生家もある。

 

続いて中区

 

面積は最も狭く、人口密度は最も大きい。

旭川とその放水路である百間川に挟まれた位置になっている。

百間川は江戸期に造られた。堤防の切れ目に陸閘や洗い越しなどが多く設けられていたが、昭和の改修によって役目を終えた。

 

仏教系の史跡が多く、賞田廃寺跡では地方ではなかなか見られない凝灰岩の基壇が発見された。機内の有力寺院でしか確認されていないものであり、この地と中央部の政権に強いつながりがあったことが伺える。

 

次は東区

 

 北部は山間の地形になっている。

瀬戸内海には市内唯一の有人島である犬島が浮かんでいる。

 

元々は金陵山西大寺門前町として発展した。

万富地区では源平合戦で焼失した東大寺の再建の際に瓦を焼き、その遺構が今でも残る。

 

犬島は銅の精錬や採石が長く行われ、現在では元々の地形とは大きく姿を変えている。

現在では海水浴にキャンプ、そしてアートプロジェクトも開催され観光客が多く訪れるようになっている。

 

最後は南区

 

区域の半数以上が江戸時代から昭和初めまで行われた干拓による造成地である。

旭川など複数の川が流れ込み、ダム湖を除く世界最大級の人造湖である児島湖児島半島の金甲山・貝殻山など景観に優れる。

米、麦、その他野菜など農業が盛んである。

 

児島湖は日本で最初に造られた人造湖である。

児島湾の奥を締切堤防によって区切り、淡水化した。

干拓地の水害塩害などの解消を目的としたが、一方では漁業の衰退も招いてしまう。

干拓地の住宅化が進んだこともあり、水質汚染も激しく長年の課題となっている。