札幌史跡探訪 ― 西区役所界隈 ―

目次

 

 

1.札幌市西区役所

屯田兵屋跡を周囲から眺めた後は再び琴似本通に戻って札幌市西区役所へ向かう。

 

 

2006/11広報さっぽろより

1906年日清戦争の後に琴似村・発寒村・篠路村の一部が合併して琴似村が発足。

この時に現在の西区役所・小学校付近に村役場が設置された。屯田兵入植時に本部だった場所であり、以降も行政の中心であった。

その後諸所の事情があって、1920年に交通の便がよい琴似駅北に移転。

そう、つい先ほど立ち寄った場所である。

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1955年琴似町が札幌市と合併。

1972年札幌市の区制施行時、西区役所は琴似町役場ではなく移転前の場所、現在の位置に戻ってきたようだ。この前後で何があったのかはちょっとわからない。

 

今昔マップより

1916年、1975年の地図では町村役場を表す丸印が確認できるので区設置と同時に区役所がここに設置されたのは間違いないと思う。 

地下鉄東西線の琴似~白石間が開通したのは1976年なので地下鉄に近いこの位置が良いことになったのだろうか。あるいは駐車場などのスペースを確保できる場所?

2.西区役所内の碑

さて、この西区役所の南側は緑地になっていて、いくつかの碑が建てられていた。

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このよううにそれぞれの碑についての説明板が設置されているのだが、いかんせん読みにくい。

 

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まずは琴似屯田兵顕彰碑。

 

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そして屯田兵本部跡。

 

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陰で文字が全く見えないが、琴似屯田百年記念碑。

 

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陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾。

 

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琴似屯田百年記念碑。

 

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屯田兵入植時の頃の写真。

 

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百年記念の石碑に埋め込まれていた書き下し分のプレート。

 

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顕彰碑の背面。建立の経緯と関わった子孫会の人々の名が刻まれていた。

 

緑地の横には琴似屯田資料室という建物もあるのだが、ここもコロナのため閉館中。

またの機会を待とう。

3.琴似神社

西区役所の向かい側にある琴似神社にも行ってみた。

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屯田兵の人々が入植時に創建。

一時は山の手にあったらしいが、1897年この地に遷座したそうだ。

 

 

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創建時は仙台亘理藩の祖、伊達成実を武早智雄神として祀っていた。

1911年大国主命を現在の北海道神宮から分霊。

 

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戦後、伊勢神宮から天照大神豊受大神を分霊。

さらに会津藩藩祖保科正之の土津霊神を合祀。

 

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催し物の行われる演舞場。

 

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かつて建っていた琴似兵村五十年記念塔跡の説明板。

 

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屯田兵屋もあるそうだが、よくわからなかった。

 

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石造りの建物。物置にしては壮麗な造り。

貴重品が入っているのだろう。

 

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参拝している人がいたので写真はこの辺りからにとどめておく。

 

境内はストリートビューで閲覧できます。

 

札幌史跡探訪 ― 琴似屯田兵屋 ―

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1.琴似屯田兵村道の跡

琴似駅前の駐輪場入り口には下のような案内板が立っている。

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開拓の歴史の道について。

1874年に入植が始まった琴似屯田兵村。

その概略図と主な史跡が記されている。

 

琴似駅からやや南、今のホテルヤマチから琴似区役所までのエリアが屯田兵村であった。琴似本通りは当時から村のメインストリートで村内を東西に二分していた。

 

 

地図に描かれているように木製の道しるべ碑が数か所建てられていた。

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上の写真で黄色く塗られた屯田兵村の道のうち、西端の南北に通る道は川添通という名がつけられている。

ちょっと調べてみたところその由来は諸説あるようでここで述べるのは避けるが、この道を境に街の構造もかなり違っていたようである。

 

1948年の国土地理院地図の航空写真。

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青い線が屯田兵村の通り。

その間は碁盤の目の町になっており、両外は畑地がメインになっているのがよくわかる。とくに青い線の西側は琴似発寒川の影響を受けてか、家や田畑がかなりいびつな地割で構成されている。

 

 現在の地図を見ても川添通の西側、琴似3条・4条の道路はもう何が何だか(笑)

 

3条と4条の境目を見ると入り組んでいるが直線も多い。この辺りを琴似発寒川から分かれた小川や用水路が流れていたのだろう。

その南側、山の手地区はほぼ碁盤の目のように直線の道路ばかり。

北側の八軒も川添通の北部がカーブしているくらいでそれ以外は直線が基本である。

 

2.琴似屯田兵村兵屋跡

さて、JR琴似駅から地下鉄琴似駅まで歩いてきた。

ここでちょっと西へ曲がってみる。

ビルや住宅が並ぶ一角にひっそりと、しかし明らかに雰囲気の異なる建物が立っている場所がある。

 

 

それが琴似屯田兵村兵屋跡。

ようするに屯田兵が住んでいた家屋を復元したものだ。

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建物は1970年まで残っていたらしく、そのすぐ後1972年に復元された建物。

木造平屋で庭兼畑もあわせて当時のままにされたそうだ。

 

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入口には史跡であることを記した石碑が建てられている。

1982年に国の史跡に指定されたらしい。

残念ながらこの日はコロナのおかげで閉鎖されていたため入館できず。

 

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入口が陰になってしまい、ほぼ真っ黒に。

木目が特徴的な屋根は柾葺きという工法。

木を薄く裂いて重ねていく手法だそうだ。

 

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史跡指定時の説明板。

辛うじて外から撮影できた。

 

今回は訪れなかったが、ここからもう少し西に進んで上述の川添通にぶつかると、こちらも開拓以来120年の歴史を持つという浄恩寺がある。

 

屯田兵屋の入館が可能になったらあわせて訪れてみたいと思う。

 

札幌史跡探訪 ― 琴似駅前八軒側 ―

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1.八軒会館

琴似駅の北、八軒側にちょっと寄り道。

八軒会館に立ち寄ってみる。

 

 

建物前広場の一角には花壇があり、そこには記念碑や説明板が設置されている。

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まずはこちら。

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草木の生育が良くて隠れてしまっているが、ここには旧琴似村・町役場跡の説明板が設置されている。

 

違う角度から。

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全文は

この敷地は、琴似村役場が大正9年(1920)に札幌軟石で庁舎を建てて移転し所在しました由緒ある跡であります。左の札幌軟石の柱は役場正門柱の下部分の貴重な遺構です。昭和17年(1942)に琴似町となり、昭和30年(1955)には札幌市と合併しました。 と記されています。

 

琴似村が発足したのは1871年

1875年には屯田兵村も設置された。

1906年に琴似村・発寒村・篠路村の一部が合併して二級町村の琴似町が発足。

現在の地域では北から屯田新琴似・新川・八軒・発寒・琴似・二十四軒・山の手・宮の森・盤渓が含まれていた。

 

 

横にはその門柱の遺構が残されている。

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色んな所で出てくる札幌軟石。

札幌の開拓を支えた貴重な石であった。

 

1948年の国土地理院地図の航空写真

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青い丸が当時の町役場。

周囲は小さな住宅街でその周辺はほぼ農地が広がっている。 

2.天皇陛下行幸記念碑

同じ花壇の中にはもう一つ大きな石碑が建っている。

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ここはチェーンで囲われていて、一応草木が邪魔しないようにしている。

これは昭和11年の陸軍特別演習の際の天皇陛下行幸記念碑ということだそうだ。

 

3.レンガ館

再び駅歩行に戻って、鉄工団地通りを少し西側へ進む。

ここにあるのはレンガ館という建物。

 

 

その名の通り煉瓦でできた建物。

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元々は昭和初期に日本食品製造合資会社(日食)が日本で初めてコーンフレーク・オートミールなどのシリアル食品を作った工場。

当時はとうもろこしやオーツ麦などの原料が北海道で生産されていたのだ。

 

横から見ると、のこぎり状の三角屋根が目につく。

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採光性に優れているらしい。

 

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都市景観重要建築物に指定されている。

 

前述の日食は現在由仁町に工場を移転。操業100年を超え今もシリアル食品を製造している。

 

4.八軒の歴史

最初の移住者は山鼻地区からやって来た人々。

元々は東本願寺が新潟から山鼻に入植させた人々が辛未一ノ村(しんぴいちのむら)を作った。

しかし、開拓使の意向でこれらの人々は再度移転することになった。

その数十戸の人々の中で八戸が移転したのが現在の八軒である。

八軒という地名は移転時の戸数からとられたものであった。

 

 

八軒は函館本線と新川、琴似発寒川、琴似川に囲まれた平坦な地域である。

 

最近存在を知った今昔マップというサイトより。

1916年の地図では駅周辺は原野または田畑になっている様子。

鉄道と交差して南北へ向かう、現在の琴似栄町通は八軒側で茨戸道と記されている。

 

1935年の地図では駅北西に工業試験場の表記がある。

工業試験場とは中小企業の技術向上・研究成果の普及を図るために設置された期間。

2006/11の広報さっぽろ西区版 によると

醸造・窯業の試験/研究に端を発したそうだ。

現在は北19条西11丁目に移転し、現在は産学官民との共同研究開発、技術支援・指導、技術者養成などを行っている。

この工業試験場の東側、なぜか斜めのいびつな構造をしていて現在の町でもその区割りが残っている。理由はよくわからないが池か沼でもあったのだろうか。

上述のレンガ館からもう少し西に進んで北へ曲がったあたりにあるサッポロ珈琲館本店はこの工業試験場の第二庁舎を改装した建物だそうだ。

 

1952年の地図になると周囲に工場が多く建っているのがわかる。

八軒側では駅のすぐ北、北海道銀行のある一角は森永製菓の工場だった。

1950~1975年までキャラメルなどを製造していたらしい。

現在はこの一角のマンションに森永市場開発㈱という会社がオフィスを構えているようだ。

 

 

札幌史跡探訪 ― 琴似駅 ―

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1.JR琴似駅

桑園駅から西へ進み琴似駅に到着。

 

住所上はJRの線路沿いの鉄工団地通りを挟んで北側が八軒、南が琴似。

駅の住所は琴似2条1丁目だ。

 

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駅のすぐそばに2棟のタワーマンションが聳える高架駅。

西区の中心駅で、2019年度はJR北海道の駅で5番目に利用者数が多い駅となっている。

この辺りはペデストリアンデッキが採用され、冬季間でも外に出ず行き来できるようになった。便利ではあるが、密閉されているとやはり解放感に欠けるため、仙台駅のような華やかな印象はない。

 

駅から南側は通称琴似本通りと呼ばれる道道276号線沿いに繁華街が広がっている。

札幌中心部を除くと規模的には大きめな繁華街だが、やや古さを感じる町並みということもあり、客層は近隣の住民が多いようだ。

駅の利用客も地元住民・通勤客が大半。地下鉄の駅とは数百メートルの距離があるため接続性は低い。

にもかかわらず安定した乗客数を誇っており、このエリアの中心としての地位の高さが伺える。

 

駅前はあまりスペースがなく、写真も撮りにくい。

近隣も少し周ってみたのでまた別の記事で触れることにする。

 

2.琴似駅の歴史

1880年、官営幌内鉄道の簡易停車場(フラグステーション)として開業。

付近の屯田兵村の嘆願書を受けて設置されたものであった。

1年ほどの休止期間を経て1906年官設鉄道に移管。

 

今昔マップを閲覧してみる。

左上、1916年の地図では駅周辺に建物は少なく、桑畑などの樹林・畑地であった。

右上の1935年では琴似駅の北側に工業試験場が設置されている。

その影響か駅周辺に工場が建ち始めた。 

 

この当時は琴似村という独立した自治体。

1942年琴似町となる。

1955年琴似町が札幌市に編入

2006/11の広報さっぽろ西区版によると小松製作所などの工場が林立していたらしい。

 

この頃になると琴似本通りには建物が並ぶようになっており、現在の町並みの原形ができてきたようだ。

 

1960年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅の南側に貨物スペースと引込線が複数。

その外側は貯炭場らしい。

 

1978年貨物取扱廃止。

本通り沿いの工場も日本新薬くらいとなっていた。

現在、支店が二十四軒に移転して存続している。

 

1982年高架工事にあわせ木造駅舎が解体、新駅舎となる。

2000年快速列車が当駅に停車開始。

 

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札幌史跡探訪 ― 桑園駅 ―

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1.桑園駅

某月某日、この日も自転車で札幌市内をうろつく。

まず向かったのは桑園駅

 

 

札幌駅の西隣。

市内中心部だが、繁華街ではなく近隣はやや静かな印象の駅。

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駅前ロータリー。

高架駅を挟むように背の高いビルが建っている。

 

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桑園駅東通。イオンの横を通って高架下を潜り抜ける。

 

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イオン。約20年前にジャスコ桑園店として開業。

札幌市内では一番古いかもしれない。

 

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駅の北側には札幌市立病院。

1995年北1条西8丁目からこの地に移転してきた。

 

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そしてJR北海道の本社。

あまり表立ってはいないが、意外と桑園は鉄道の町なのである。

 

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桑園駅西側。函館本線札沼線の分岐付近。

ちょうど列車が通っていた。

 

2.桑園駅の歴史

1907年現在の札幌競馬場が完成。その開催日に合わせ北五条仮乗降場が設置。

1911年から競馬場仮乗降場が設置。そして1924年旅客のみ取扱の桑園駅が開業。

1927年札幌市電北5条線が開業。札幌駅から中央市場通まで開通。最寄停留所は桑園駅通。さらに1929年桑園駅通から桑園駅まで桑園線が開通。

この頃から市電の最盛期が始まる。1960年代になると自動車の交通量が増えたことや地下鉄の建設もあって徐々に路線が廃止。

桑園線は冬期間休止を経て1960年、北5条線は1971年に廃止となった。

 

1933年札沼線が分岐。

 

その後札幌駅が旅客取扱いとなり、桑園駅が貨物機能を担う。主に石炭。

1942年非常用薪炭の貯炭線設置、北海道帝国大学へ引込線敷設。

戦後、駅前が倉庫街化。専用線が次々と敷設される。

 

1959年函館本線の貨物支線である桑園駅~札幌市場駅が開業。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真。 

 

構内の西にもいくつか側線がある。貨物積卸場か列車置き場か。さらに引込線があちこちに繋がっている。

 

現在の市立病院があるところは国鉄資材センター。

イオンを含む駅前・南側は倉庫が並んでいる。

 

駅北西には1959年に設立された札幌市中央卸売市場

桑園駅から札幌市場駅までは1.6kmの営業距離。

取扱いピークは1965年、その後トラック配送が盛んとなり1970年代には衰退。

1978年に駅廃止、線路も撤去された。

駅跡は現在北海道赤十字血液センターが建っている。

 

 

1968年当駅を含む小樽駅滝川駅間が電化。

1978年貨物取扱廃止。

1988年琴似駅~札幌駅、当駅~八軒駅間が高架化。

 

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