目次
1.運河公園
8月某日
天気がいまいちだが小樽市内を軽く散歩。
まずは駅から歩いて運河公園へ向かう。
小樽のシンボル、小樽運河だが北運河と呼ばれるエリアは観光客もあまり多くなく飲食店やお土産屋も少なめ。
その代わり、元々の運河付近の原風景を知ることができる。
公園のシンボルは噴水。
かつてこの場所は日本郵船の船入澗であった。
その形を縮小して噴水をデザインしたらしい。なんてことを今更調べてみたが、訪問時は撮影もせず。
でも、言い訳をすると噴水以外にも見どころはあって。
この石造りの倉庫もその一つ。
旧日本石油の倉庫。現在の日本で木骨造の建物が新築されることはほぼない。
貴重な文化財である。内部は休憩スペースになっている。
天井を見上げると迫力ある木の骨組を一望できる。
2.旧日本郵船小樽支店
公園から道路の反対側にあったのが日本郵船の小樽支店。
現在は工事中で内部見学もできないが、一時は道内で有数の都市であった小樽を代表する建物の一つ。日本屈指の海運会社の支店がこの地にあったということを知り、明治時代の建造物を詳しく見学できる場所だ。
その隣にあるのが日本郵船の残荷倉庫。
残荷とは配送が間に合わず、あるいは手違いで残ってしまった荷物。
物流会社にとっては事故に近い荷物だ。
明治時代頃では天候など色々な要素に左右されるので当たり前のように残荷倉庫があったのだろうか。
ちなみに通常の倉庫は現在の公園の敷地内にあったようだ。
3.運河公園の銅像
再び公園内に支店を戻す。
公園には小樽港に深く携わった2名の銅像が建てられていた。
まず一人目は伊藤長右衛門。
小樽港南防波堤の建設を指揮し、進水式の斜路式ケーソン製作ヤードを開発するなどの功績をあげる。完成後は留萌、釧路、室蘭など道内の主要港湾や樺太港の建設にも携わった。
非常に簡単な説明文と防波堤の図が描かれていた。
彼が考案した新しい技術というのが上記のケーソン製作ヤード。
特に波浪の強かった留萌では小樽でケーソンを製作し船で留萌へ運ぶという荒業も使った。ケーソン製作の詳細については下記をどうぞ。
続いて二人目。
伊藤の師である廣井勇。
港湾工学の父と呼ばれ、東大で教鞭をとる傍ら小樽港北防波堤の建設を指揮した。
強靭なコンクリートと頑丈な設置方法を完成させ、現在でも冬の荒波から小樽港を守る防波堤を完成させた。
防波堤工事の詳細についてはこちら。
4.炭鉄鉱カード
そんな廣井勇氏の業績を称え、2020年に発行された炭鉄鉱カードの中に彼も選ばれた。
若き日の廣井勇氏。
ちなみに先人カードでは壮年バージョンであった。
それから北防波堤も炭鉄鉱カードに選出されている。
土木遺産でもある北防波堤。運河公園からでも見えるはず。
カードの配布場所はこちら。