目次
1.松島駅
仙台駅から1時間程度列車に揺られ、やって来たのは松島駅。
日本三景の一つ、松島への最寄り駅の一つ。
町役場がすぐそばにあるが、海岸からは少し距離があり観光地へは仙石線の松島海岸駅が近く、松島町中心部には高城町駅が近い。
駅舎は2010年に改築されたもの。
国道に至る道はいくつか商店があり、駅前通りらしい雰囲気が残っている。
1894年 日本鉄道により旧松島駅が開業。当時は山線とよばれ現在とは違う路線であった。1944年海線(現在の東北本線)が開業。新松島信号場が開業。
1956年新松島信号場が駅に昇格。
ちなみに旧松島駅は現在松島町健康館として今も健在。
2.松島海岸
国道45号を南に下っていくと徐々に観光地らしい雰囲気となってくる。
そしていよいよ海が見えてきた。
ここからでも島が見えるが、やはり遊覧船に乗って観光するのがセオリーだろう。
というわけでチケットを買うが、出航まではしばし時間がある。
その間、海岸沿いを散策。
大きな遊覧船が何艘か停まっている。
あそこが乗り場だ。
行列になって進む人々の後ろに並び、写真右手のお堂へ向かう。
この辺りから見える島々はこれが限界かな。
もっと高い所へ行けばさらに見えるのだろう。
干潮の時間帯なので潮は引いているが、赤い橋の下まで海の水が入って来る。
人が多くて、ゆっくり写真を撮ることができず、ちょっと遠目から。
このお堂の名は五大堂。平安時代、坂上田村麻呂が東征の際に建立した毘沙門堂がルーツである。五大明王像を安置したことがその名の由来。
現在ある建物は江戸時代伊達政宗が創建したもので、東北地方で現存するものでは最古の桃山式建築と言われ、国の重要文化財に指定されている。
海岸から少し離れたところにある瑞巌寺の境外仏堂であり、33年に一度開帳する。
お堂へと渡る橋は透かし橋という建築手法で、橋げたの隙間から海が見えるようになっている。高所恐怖症の人にはちときつい。拝観の前に気を引き締めるために造られたという説が有力のようだ。
日本三景の碑。
平安時代より和歌に詠まれるなど名称の呼び声高かった松島だが、日本三景という括りが定まったのは江戸時代。
1640年頃儒学者の林春斎が著書において書き記したことが始まりという。
それぞれ、今も観光地の多い場所である。
日本三景というフレーズが各地に広まったおかげで人々はいつの時代も忘れることなく、その姿を守り続けてきたのかもしれない。