稚内市 ― 最北の町 ―

目次

 

1.稚内市の概要

今日は稚内市について調べてみた。wikipedia:稚内市

人口は約3万3千人。

 

記録に残る稚内市の歴史は1684年~1687年頃に設置された宗谷場所に始まる。

それ以前には1644年、幕府に献上された正保国絵図にソウヤエツなどの地名の記載があった。しかし1669年シャクシャインの戦い以後、和人の活動が全道で制限される。

1700年代に阿部屋の村山伝兵衛が場所を請け負う。1773年松前藩が借金の支払いの代わりとして飛騨屋久兵衛に請負を命ずる。阿部屋はその下請けとなる。

1789年国後・目梨の戦い後非法交易をしていた飛騨屋が失脚。

松前藩が直轄支配を行うが、ロシアの侵攻を警戒し1807年に幕府が直接治めるようになる。この頃、間宮林蔵樺太を調査、1809年に樺太が島であることを確認。

その後柏屋藤野家が請負、幕末まで続く。

 

明治維新後の1870年北海道、樺太開拓使が置かれる。

翌年宗谷に出張所設置。この頃は現在の稚内市街ではなく今の宗谷支所付近が行政の中心であった。1879年に宗谷村に戸長役場が設置されるが、1888年稚内へ移転された。

小さな漁村であった稚内だが良港であることが評価、樺太との交易の拠点となる。

1897年に二級町村制施行、3年後稚内村が分村。現在の稚内・抜海・声問地域である。

一方宗谷村は現在の宗谷・泊内・猿払村にあたり、無級町村となる。

1909年に二級町村制施行、1922年に猿払村が分村。

1954年町村合併促進法が発令。宗谷村の合併を巡り、稚内との合併・猿払村との合併・分割して両者と合併の案が挙げられたが、稚内市との合併で決着。

 

2.稚内市の交通

日本最北の駅である宗谷本線終着駅・稚内駅から南稚内駅、抜海駅、勇知駅と4つの駅がある。かつては南稚内駅で分岐し猿払村へ向かう天北線があったが1989年に廃線となった。稚内駅には道の駅も併設されている。

1960年には稚内空港が開港し、現在は羽田、新千歳間の航路が運営されている。

国道は旭川との間をつなぐ国道40号線オホーツク海沿いを走り、遠く網走にまで至る国道238号線が通っている。

 

3.稚内市の観光地

まず市街地の名所と言えば北防波堤ドーム。工事の困難さと独特のデザインは明治期の土木建築を代表する建造物と言えるだろう。

 

市街の後背地となる高台には稚内公園。市街地及び遠く利尻富士も一望できる。

園内はキャンプ場などレジャー施設のほかに開基百年記念塔、樺太島民慰霊碑である氷雪の門などが設置されており、稚内市の歴史にも縁の深い場所である。

カントリーサインには利尻富士、氷雪の門、ハマナスの花が描かれておりこの公園の景観がデザインされたものと思われる。

 

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海側の代表的スポットは副港市場。かつての稚内港駅を一部復元したギャラリーが入居している。稚内樺太航路や樺太の鉄道について詳しく展示されている。

 

海沿いに北西へ向かうとノシャップ岬

夕日の名所として知られ、灯台・漁港公園・水族館・科学館など観光客が集まるスポットになっている。

 

稚内市街から反対の北西へ国道を走り続けると宗谷方面。

廃棄物であるホタテの貝殻を道に敷き詰め、今や稚内を代表する絶景ともいわれる白い貝殻の道、氷河によって形成された地形そのままの姿を見ることができる宗谷丘陵。

そして日本最北の地、宗谷岬が旅人を待っている。

 

 

 

 

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