目次
1.益田市
今日は2015年6月30日放送の空から日本を見てみようで紹介された島根県西部について調べてみた。
最初は益田市。wikipedia:益田市
人口は4万4千人。市の中心部は益田川と高津川に挟まれ、日本海に面している。
山陰本線・山口線が分岐し山陰と山陽を結ぶ要衝の一つとなっている。
古代より人々が居住し各年代の遺跡が発掘されている。
古代遺跡と言えば古墳。匹見地区の新槙原をはじめとする旧石器時代~古墳時代における遺跡群、島根県最大級のスクモ塚古墳、横穴式石室を持った古墳が密集する鵜の鼻古墳群など数多い。
中世になると益田川の河口にある中須東原遺跡。湊町の遺跡で船着場跡や日本各地・中国・朝鮮・東南アジアの陶磁器が出土し多様な交易が行われていたことを示している。
少し上流にさかのぼったところにある今市船着場はかつて益田川と高津川の合流点だったと考えられている。戦国時代には港及び市場だったようだ。
平安時代以降この地を治めていたのは益田氏。
歴代の当主が居住していた三宅御土居、そして益田川の対岸に築かれた山城の七尾城はセットで国の史跡となっている。
東部山中には四ツ山城という砦のような城跡も残っている。
寺社仏閣も数多い。
津田川の河口近くにある津田八幡宮。天平・飛鳥時代の歌人柿本人麻呂の終焉の地とされる鴨島に建てられた高津柿本神社は地震により鴨島が海中に沈んだため江戸時代に現在の位置に移転された。1710年には津和野藩主亀井茲親により戸田柿本神社も創建された。万葉集では長歌19首,短歌75首もの歌が掲載されている当時代きっての歌人であった。
雪舟は医光寺の前身であった崇艦寺の住職であり、医光寺の庭園は彼の作によるものとされている。また総門は七尾城の大手門を移築されたものと言われている。
益田氏の菩提寺である萬福寺にも雪舟が手掛けた庭園が残されている。
雪舟が晩年を過ごした東光寺の焼失後に建てられた大喜庵には雪舟の墓が建てられている。この場所から見える吉田平野と日本海の風景を愛していたそうだ。
隣接して雪舟の郷記念館が建てられ、彼の作品や貴重な文書を保存している。
梅毒の治療薬を発見した秦佐八郎の記念館、たたら業の支配人であり庄屋だった美濃地家の屋敷、1100年を超える歴史を持つ都茂丸山鉱山、4つのエリアでそれぞれ違った特徴の渓谷美を楽しめる匹見峡など他にも観光スポットが数多く、面積も広いためじっくり見て周るには退屈しない町である。
2.津和野町
続いては津和野町。
人口は7千人弱。川沿いの狭い平地に城下町が広がっている。
元尼子氏の臣下であった亀井氏が代々津和野藩藩主として幕末でこの地を治めた。
鎌倉時代に築かれた津和野城は急峻な山地にあり、石垣や堀などが残っている。
藩庁は山麓に置かれており、庭園は喜楽園として今も残っている。
津和野藩の筆頭大社であった鷲原八幡宮と中郷地方有数の稲荷神社である太皷谷稲成神社を結ぶルートが城跡を散策できる遊歩道になっている。
風情ある町並みが外国人にも人気で、殿町通りは特に城下町の姿を色濃く残す。白壁の土塀と鯉が泳ぐ通りの掘割、多くの史跡が残っている。
文豪森鴎外の旧宅、多くの和製漢語を生み出した西周(にしあまね)の旧宅などが観光地となっている。哲学・科学・意識・知識・定義などアカデミックな単語の多くが西周の考案した訳語である。
画家安野光雅の出身地でもあり、作品を数多く展示した美術館も建てられている。
私の愛読書である司馬遼太郎の街道をゆくシリーズの2代目挿画担当でもあった。
津和野駅~新山口駅間はSLやまぐち号の運行が行われており、津和野駅前にはD51の静態展示と現役で使用されている転車台があって、鉄道人には欠かせないスポットだ。
市街から北東にある日原天文台は全国初の公開天文台。本州で最も光害の少ない夜空を観察できる天文台である。
3.吉賀町
最後は吉賀町(よしかちょう)
人口は6千人弱。町の中心部は参勤交代に使われた宿場町であった。
自然豊かな名所が多く、日本の棚田百選の一つである大井谷の棚田、一級河川として唯一支流にもダムの無い高津川の水源地である水源公園。一級河川で水源が特定されているのは極めて珍しいそうだ。