空から日本を見てみよう ― 京都郊外 ―

目次

 

1.京都市郊外部

今日は2015年7月7日・14日の空から日本を見てみようで紹介された京都市の周辺について調べてみた。

まずは京都市の郊外部

 

wikipedia:京都市

 

最初は山科区から見ていく

 

地図からわかる通り、京都市中心部の位置する京都盆地とは東山によって、近江盆地とは音羽山や醍醐山によって隔てられている。この辺りは山科盆地と言い北部を山科区、南側は伏見区醍醐で形成されている。古代から東国と京都を結ぶ街道の要衝として栄えた。現在も滋賀県の大津や醍醐地区との結びつきが強く生活経済圏を共有している。

 

古代より政権との結びつきも強く、天智天皇陵は実在した天皇の古墳が特定されている数少ない例。

藤原鎌足の病気治癒を願い建立された山階寺(後に移転して興福寺となる)、平安期には真言宗安祥寺、中世には後の本願寺の前身となった山階本願寺、江戸時代には移転復元された天台宗毘沙門堂などが建立された。

 

他には日本初の高速道路となった名神高速道路の起工の地、明治期を代表する土木工事となった琵琶湖疎水などが名所になっている。

 

ここから反時計回りに郊外部を進んで行く。

 

隣の左京区にも琵琶湖疎水記念館、そして哲学の道などが観光名所となっている。

明治になり首都が東京に移ったことで、戦火の被害を受けた京都は産業衰退・人口減少などに悩んでいた。これを解消すべく灌漑・上水道・水運・水車の動力などを目的として建設されたのが琵琶湖疎水である。

1890年大津市から鴨川の合流部までが竣工。

1891年には当初の予定にはなかった水力発電にも対応し蹴上発電所を建設。

1912年電力・新設上水道用として第二疎水が竣工。

哲学の道は当初管理用道路だったが、やがて近隣に文人が居住するようになる。

哲学者西田幾多郎などが散策しながら思案を巡らせた。

1972年住民の保存運動に伴い、正式に「哲学の道」と命名

桜並木や紅葉の名所として親しまれている。

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慈照寺銀閣などを通り過ぎてさらに北上すると天台五門跡の一つである曼殊院、御水尾上皇が建設した修学院離宮、幕末に岩倉具視が一時期居住していた実相院などの名所が知られる。

 

さらにさらに北へ進むと天狗伝説や牛若丸(源義経)で有名な鞍馬寺。現在はケーブルカーも運営していて宗教法人では唯一の鉄道事業者となっている。

同じ鞍馬山には水神を祀る貴船神社があり、鞍馬寺との間はハイキングコースにもなっている。

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鞍馬の天狗と言えば人間国宝であった故桂米朝師匠の落語「天狗さし」が思い浮かぶ。

 

天狗のすき焼き店を出せばもうかると企む、変わった男の話。

 

以前の京都市内の回はこちら。

kamonji224.hatenablog.com

 

2.亀岡市

続いては亀岡市

人口8万5千人で京都府第三位の大きさだ。

wikipedia:亀岡市

 

明智光秀丹波亀山城と城下町を築く。

城跡は盆地の中心に位置し、現在は新興宗教が所有している。

神尾山城や明智戻り岩など光秀の丹波攻めに関わる小さな史跡も点在。

市内中心部を流れる桂川保津川)は京都市内へ通じるが、かつては狭隘な渓谷によって辛うじて木材の流送のみが行われていた。物資の輸送はもっぱら人馬に頼るものであったが、安土桃山~江戸時代の豪商である角倉了以によって河川改修が行われる。巨岩を爆破し、瀑布は上流を掘削してなだらかな流路とした大工事をわずか5か月で行い、高瀬舟の行きかう重要な水路へと変貌させた。

司馬遼太郎街道をゆくのなかで彼の業績に頁を割いている。

 

現在は保津峡の川下りが一大観光スポットとして人気を博している。

 

3.南丹市

最後は南丹市

人口は3万1千人。

wikipedia:南丹市

 

戦国時代~江戸時代にかけてはキリシタン大名内藤ジョアンの領地。

禁教令でジョアンがマニラに追放された跡は小出氏の治める園部藩となる。

山城の八木城から現在の市中心部に位置する園部城に藩政も移った。

園部城は日本最後の城郭建設としても知られている。

 

城を見下ろす生身天満宮菅原道真が存命中に創建された日本で唯一の神社である。

日本最古の農家住宅である石田家、同じ茅葺屋根の小林家の住宅が重要文化財に指定されている。

西乗寺九品寺などの名跡るり渓の渓谷といった名勝などが観光スポット。市域の大半を丹波山地が占める自然豊かな地勢が特徴的な町だ。