目次
1.天津の概要
今日は2009年2月26日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された中国の天津について調べてみた。
天津は約4千年前に陸地となった沖積平野。
隋の時代に築かれた京杭大運河の南と北の合流点が天津の発祥地と考えられている。
唐の時代には製塩場が設置され、元の時代には水路による食糧輸送の中継地として栄える。明の第三代皇帝である永楽帝は皇子時代、第二代皇帝である建文帝と皇位を争い北京から軍を率いて南下した。その際この地を渡って南京へ進軍し皇位についた。
この出来事で天子が河を渡った場所という意味の天津という地名を名付けられる。
城壁も築かれ軍事拠点としても重要な地となっていく。
清代になっても福建や台湾から船舶が集まる港湾都市であり、同時に政府直轄の総督駐屯地として李鴻章や袁世凱も滞在した。
アヘン戦争の敗北によりイギリス・フランス連合軍に占領され行政自治権・治外法権を設定した天津租界が南東部に設置される。後に日本など最大時には9か国が租界を設置した。城壁が撤去されると、旧市街地と租界の金融街は徐々に一体化し巨大な都市となっていく。
日中戦争後の1949年には全ての租界がなくなり、工業及び貿易の中心地として現在に至っている。
2010年代のGDPはベトナムと肩を並べるほどの規模となる。
中国国内では上海、北京、広州、深圳につぐ第五位の市となった。
2.天津の観光地
天津のシンボルとなっているのが天津テレビ塔。
最高地点120mの観覧車の中心に見えるテレビ塔。
夜景スポットとして人気を誇っている。
元代の遺跡である天跡宮を中心とする天津古文化街は、歩行者天国となり装飾された小さな店舗が数多く並ぶ。土産物屋や飲食店が多く、まずはこの辺りを散策する観光客が多いだろう。
続いて独楽寺。唐代に建立され、安禄山がこの地を楽しんだとも言われる。
中国最古の木製楼閣であり、遼代に築かれた観音像は現存する最大の観音塑像である。
1913年からフランス租界に建てられた西開天主教堂は、市内で最大のロマネスク様式聖堂。全ての煉瓦をフランスから持込み、周辺に学校や医院も建てられ一つの教会建築群を形成していた。
天津の中心部は五つの街道があり、五大道という地名になった。
もともとはイギリスの租界にあったが、イギリスだけではなくフランス・イタリア・ドイツ・スペインなど各国の建物が並び万国建築博覧会場にも選ばれた。