空から日本を見てみよう ― 萩 ―

目次

 

1.萩市の概要

今日は2015年8月18日放送の空から日本を見てみようで紹介された山口県萩市について調べてみた。

wikipedia:萩市

 

人口は4万3千人。

観光業と農業漁業が主産業。

中国山地から日本海ヘ向かって傾斜部分が多く、平地は阿武川河口の市街地付近のみ。

中世においては後白河院の御領であった。

関ケ原の戦い後、居城であった広島城から追われるように転封してきた毛利輝元の居城となり、長州藩の城下町となった。

現在も江戸時代の地図のままの地割が残り、痕跡も数多く歴史都市として世界遺産にも認定された。

 

2.萩市街の観光地

萩城は明治になって間もなく解体されてしまう。一部石垣や堀などが残っているほか改めて指月公園として整備され、桜やツツジが彩を添えている。

 

武家屋敷だった付近では今も当時の名残があちこちに残っている。

元三の丸だった堀内地区は諸役所や家老などの武家屋敷が建っていたが、現在も当時から使われていた石垣や土塀がそのまま。城下町特有の直角に曲がる道と共に風情を感じる散策スポット。

 

 

少し西に進んで城下町エリアへ。

文化財になっている菊屋家住宅など豪商の屋敷が並ぶ。

 

豪勢な屋敷は迎賓館の役目も持ち、藩の賓客を接待することもあったそうだ。

菊屋、江戸屋、伊勢屋という大商人の屋敷が横に並び、その脇にある横町はそのまま店の名がつけられ、中下級武士の屋敷が並んでいた。

 

そのうち菊屋横町には高杉晋作の生家が、江戸屋横町には木戸孝允の旧宅が残っている。

 

 

さらに西へ行くと彼らが通った藩校の明倫館、そして松本川を渡ると吉田松陰ゆかりのエリアとなる。

 

幕末から明治にかけて活躍した志士たちを多数輩出した松下村塾

 

彼らについての本も数多く出版されているが、司馬遼太郎ファンとしては吉田松陰高杉晋作を描いた「世に棲む日々」がお勧めだ。

 

 

市街の外れにあるのは幕末の西欧近代化の象徴ともなった反射炉

 

大砲の鋳造に必要な金属溶解炉として建造された。

今残っているのは煙突にあたる上部7割の部分。溶解室のドーム状天井に熱を反射させ高温を発生させる仕組み。

日本国内に遺構が残っているのは静岡の韮山と鹿児島のみということで貴重な産業遺産である。

 

3.萩郊外の観光スポット

代々の藩主が参勤交代の際に、萩から瀬戸内海の防府市三田尻港へ向かう御成道(おなりみち)として開かれた「萩往還」。大名のみならず庶民にとっても山陽と山陰を結ぶ重要な道であった。

 

その宿場町の一つであった佐々並市は今も当時の建築物が残っている。

 

 

須佐地区の半島部海岸にある須佐ホルンフェルス。

ホルンフェルスとは砂や泥でできた岩石が高熱のマグマと接触することによって変成した岩石。

 

 

ホルンフェルスが帯状となり、変成の過程を連続的に知ることができるという珍しい構造になっており、学術的にも価値が高いそうだ。

 

4.見島

萩市域にはいくつかの離島があるのが、最も遠くにあるのが北に40km離れた見島。

約2000万年前ユーラシア大陸から日本列島が分かれ、現在の日本海ができた頃、海底の地殻は分裂により薄く延ばされ割れ目がいくつもできていた。

その割れ目から高熱のマントルが噴出し溶岩台地を造った。その一つが見島である。

島北端の見島北灯台は、水平線から昇る朝日と水平線に沈む夕陽を同じ位置から見ることができる珍しい場所。

 

 

5.阿武町

最後は萩市に囲まれた位置にある阿武町。

wikipedia:阿武町

 

人口は3千人弱。

平成の大合併萩市の市域が拡大したため、このような位置関係になった。

海岸沿いと山間地に集落がありともに一次産業が主となっている。

 

1932年、山陰本線最後となる開通区間に架橋した惣郷川橋梁は、波浪・潮風による浸食・腐食を避けるため一般的な鋼構造ではなく鉄筋コンクリートのラーメン構造の堅牢な造り。橋脚も満潮時から1.5mの高さにある高い基礎が特徴的だ。

海からも橋からも景色が良く、さらに土木遺産にも認定され人気の撮影スポットだ。