世界ふれあい街歩き ― ミラノ ―

目次

 

1.ミラノの歴史

今日は2009年5月21日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された、イタリアのミラノについて調べてみた。wikipedia:ミラノ

 

イタリア北西部に位置し、ロンバルディア州の州都。

古代ケルト人の町をもとに、ローマ帝国支配下で繁栄。

西ローマ帝国の首都となったが、ゴート族により一度滅亡。

中世は大司教の統治から、富裕貴族による自治都市へと変貌し、ヴィスコンティ家によるミラノ公国となった。

ルネサンス期にはレオナルド・ダ・ヴィンチも滞在。

その後は神聖ローマ帝国ハプスブルク家の支配を経て、19世紀のイタリア統一運動の中心となる。イタリアの主要都市の一つとなり、第二次大戦では大きく被害を受けるも現在もイタリア有数の都市となっている。

 

古くから服飾・繊維産業が発達し今でもファッション業界の中心。

1971年ヴァレンティーノ・ガラヴァーニがミラノに本社機能を移転。これをきっかけにイタリアファッションの中心がローマからミラノへ移って行った。

 

2.ミラノの観光

ヴィスコンティ家が館としたスフォルツェスコ城

その後、ヴィスコンティ家に変わって公爵となったスフォルツァ家が回収し城塞化。

星形の広大な城郭だったが、今も残るのは1/4程度。

 

城の南西、ミラノの中心にあるのが大聖堂(ドゥオーモ)

世界最大級のゴシック建築。第二次大戦でも爆撃の目標から外れた。

500万人のカトリック信者を束ねる大司教区の聖堂である。

 

周囲には最後の晩餐を所蔵するサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会やミラノ最古の聖堂サンタンブロージョ教会メディチ家埋葬の場となったサン・ロレンツォ大聖堂など著名な教会建築が密集している。

 

ミラノはポー平原に位置し、川が遠かったため運河が引かれた。

現在は大半が暗渠になったり埋め立てられているが、かつては町を囲んで運河・堀が引かれていた。

市街の南にあるナビリオグランデ運河はその名残。

 

一方、市街の北には19世紀のショッピングアーケードであるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。

 

 

イタリアオペラ最高峰のスカラ座イエズス会の施設をマリアテレジアが入手し美術館としたブレラ美術館など文化施設が並ぶ。

 

イタリアと言えばサッカー⚽

ACミランインテルミラノの本拠地であるサンシーロスタジアムは、中心部から少し離れた市の西側に位置している。

正式名称はスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ。1980年、両チームに所属経験のある名選手の名に改称された。

ACミランは彼の在籍期間が2年しかなかったこともあって、サンシーロと呼んでいる。

本田圭佑が在籍していたこともあってこちらの方が日本には馴染んでいるかもしれない。