目次
1.元陣屋資料館 ガイド
陣屋跡を南から北へ突き抜けると、そこは元陣屋資料館の入口に通じていた。
お腹が減っているが、ここまで来たら見てしまうしかないだろう。
というわけで早速入館。
まずは5~10分程度の紹介DVDを案内されて観賞する。
白老に陣屋が設置された経緯から撤退までを簡単に説明。
見終わると資料館の方に話しかけられる。
今日は高校生が体験ガイドをしているのだが、いかがですかと。
まあせっかくなのでお願いしてみると、この日の担当は一人の女子高生だった。
資料を片手に館内を一緒に回る。
ポイントポイントで立ち止まって展示内容プラスアルファの補足説明をしてもらう。
時々こちらへも質問があって、時折どぎまぎしつつ答えてみる。
陣屋は海上からの敵の攻撃を防ぐ為に内陸の奥に設置された。
大砲も備えられたが、射程距離は海岸まで全く及ばなかったという。
そもそも陣屋を置くことになったきっかけは、ロシアの南下を防ぐ為。
松前藩単独では不可能と判断した幕府は、仙台藩や庄内藩など東北の諸藩に蝦夷地の警備を命じた。
仙台藩は太平洋側のかなり広範囲な地域を担当。
指揮にあたった三好監物の人生を振り返って案内終了。
説明の途中から空腹の為か、少し気分が悪くなってしまったのが残念だった。
元気だったら、こちらから質問もできたかもしれないが余裕はなく。
案内してもらった後は再び入口に戻る。
自由に写真などを取って見学してくださいとのことだったので、お礼を言って飴をなめながら少し休憩。
回復を待ってもう一度館内を周る。
2.元陣屋資料館 館内
幕府は当初苫小牧の勇払を適地としたが、仙台藩の調査によって白老が見いだされた。
1855年の幕府の命を受けて仙台藩は調査のために三好監物を蝦夷地へ送る。
アイヌに案内を頼み、調査する様子。
当時の蝦夷地の図。シラオイも書かれていた。ガイドの女の子にどの辺にあるかわかりますかと尋ねられた。
陣屋建設の約50年前、ロシアとの小競り合いが勃発し仙台藩は会津藩と共に兵を蝦夷地に送っていた。
陣屋建設・常駐にあたっては場所請負人だった野口屋も協力。
明治維新後の撤退までつながりは続いた。
野口屋の経営は他所に比べると良心的で、アイヌの人々の協力も得られたようだ。
当時の会所の様子を描いた図や野口屋の経歴について。
野口屋は仙台藩と命運を共にし、明治維新後は殆どの資産を失ったそうだ。
白老八幡神社に飾られていた絵馬。
前身が弁天であった事を示す。
戊辰戦争で仙台藩は明治政府と戦うが劣勢になり、白老の陣屋からも撤退。
三好監物は新政府への帰順を主張していたが、佐幕派の圧力に耐えかね1868年に自害した。
陣屋は土地の人々からも忘れ去られていたが、明治の終わりごろに放置されていた墓石が発見される。
史跡として再度見直され、昭和の中頃から復元事業が進められてきた。