目次
1.シャクシャイン古戦場跡
国縫の集落の外れ、かつて小学校があった場所がとある史跡になっているので寄ってみた。
かつてグランドだった草地の奥に1669年シャクシャイン古戦場跡と記された石碑が建っている。
シャクシャインの絵が描かれた石碑と説明の碑が二つ並んで建っていた。
戦いの趨勢が記されている。国縫川は戦いの分岐点となった激戦地であった。
廃鉱となった旧国縫小学校校舎。建物は綺麗に残っている。
プールの跡。屋根の骨組みが寂しさを誘う。
2.シャクシャインの戦い
シャクシャインの戦いは教科書にも出てくる有名な事件だ。
元々は日高地方、現在の静内を拠点とするメナシクルのリーダーであるシャクシャインと新冠~白老地域のシュムクルの抗争に端を発した戦い。
対立が激化し、シャクシャインがシュムクルのリーダーであるオニビシを殺害。オニビシの拠点であったハエは松前藩に使者を送り、援助を願い出るも拒否される。
その帰途に使者が病死するも、これが松前藩に殺害されたと誤報が広がる。
このことをきっかけに松前藩との交易に不満を抱いていたアイヌの人々が団結し、シャクシャインをリーダーとする蜂起が起きた。釧路・増毛まで及び蝦夷地各地で砂金堀や船舶を襲撃。
国縫での戦闘は数週間続くが、和人の妨害で渡島半島に居住するアイヌはシャクシャインと連携できず。武器でまさる松前藩が次第に優勢となる。
日高まで撤退したシャクシャインに対し、松前藩はアイヌ民族間の分断を図り、元々親松前的だったりあるいはシャクシャインと敵対していた者は松前側に加わる者が多かった。
静内まで退いたシャクシャインだが、ここでも劣勢となる。
新冠で和議の話し合いに出向くも計略によって殺された。蜂起は完全に劣勢となり各地で松前藩に恭順させられ、アイヌ支配は一層強化された。
3.国縫漁港
国道を渡って海岸へ行って見る。
集落の外れにある国縫漁港はちょっと変わった形をしている。
航空写真で見るとワイングラスのような形のこの港。
陸地とは橋で結ばれ、日本では初めて作られた島式漁港。
この地域は塩の干満の差が激しく、さらに僅かな風でも波浪が激しくなるなど漁の稼働日数が極めて少なかった。
港を作るための浚渫工事は費用が高額で、付近の海浜に与える影響も大きいことから浜から離れた位置に人口島を建設。防波堤を弧状にすることで、海流への影響を最小限に抑えてトンボロ減少を防いでいる。
橋を渡る前に駐車場があるので、ここに車を置いていくことになっている。
港に来るとそれほど特別な景色ではないが、漁船にとっては便利な環境なのだろう。
海を覗くと岸壁に蟹がへばりついていた。