夏のドライブ ― 国縫駅 ―

目次

 

1.国縫駅

国道230号線を太平洋側に向かって走り、国縫(くんぬい)の集落まで戻ってきた。

そのまま国縫駅へ向かう。

 

 

昔ながらの横長の駅舎。減築されることもなく改修されているようだ。

 

跨線橋。外観は駅舎と同じトーンで綺麗に整備されているようだ。

2面3線のホーム構造で駅舎側が函館方面、島式ホームの2番線・3番線が長万部方面。

 

階段、そして天井の梁は木製のレトロ建築を維持したまま。

駅舎巡りの醍醐味の一つだ。

 

函館方面。鉄骨で補強されてた跨線橋の向こうは太平洋に沿って八雲・森を目指す。

 

長万部方面。見切れているレトロな駅舎と対照的にホームの舗装は新しそう。

 

駅は集落の外れにあり、向かって右側に家が点在。どちらかというと国道より海側の方がメインの集落のようだ。

 

2.国縫駅と近隣の歴史

国縫駅1903年、北海道鉄道の森駅~熱郛駅間開通に伴い一般駅として開業。

開業当初は現在地より1.1kmほど南側に位置し、1907年に現在地へ移転。

1909年函館本線の駅となる。

1929年瀬棚線が開業。起点は国縫駅だが、始発・終点は長万部駅だった。

1966年~1970年にかけて北豊津信号場~中ノ沢駅間が複線化。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

駅裏には木工場があり、側線が伸びている。

駅舎の函館側は貨物ホーム。現在はソーラーパネルが並んでいた。

さらに函館方面へ行くと、学校の正面辺りから瀬棚線が分岐し、大きくカーブを描きながら国縫川に沿って北西へ向かっている。

 

1984年貨物取扱廃止。

1986年急行ニセコの廃止と同時に無人化し簡易委託。ただし瀬棚線の閉塞要員のみ継続して配置。

1987年瀬棚線廃止。

1992年簡易委託廃止し完全無人化。

 

3.北豊津信号場

国縫駅の一つ隣にある北豊津信号場。

 

1944年、戦争時における輸送力強化の一環として旅客も行う信号場として設置される。

1953年北日本砂鉄鉱業の専用線設置。噴火湾から砂鉄を室蘭方面に出荷していた。

1967年に貨物取扱廃止。

1986年無人化、1987年国鉄民営化の際に駅へ昇格し北豊津駅となる。

2017年旅客扱い廃止、再び北豊津信号場となった。

 

旅客扱い時は2面2線のホーム構造で構内踏切で接続。その他に安全側線が付帯されていた。

ストリートビューより

 

駅待合室は今も残っており、JR職員が利用しているようだ。

 

国道からは舗装されていない小道を進み、森の中に建物がある。

 

とてもこの先に駅があるような風景ではないよね。

 

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