目次
1.仙台藩陣屋跡へ
竹浦駅を出て時刻はお昼前。
市街へ戻りながら昼食にしようか迷いながら自転車を東へ戻らせる。
国道ではなく鉄道の北側、日本製紙の工場裏を通る道を進むが、全然人に会わない。
萩の里自然公園にはクマ出没の渓谷看板が🐻
車は時折通るが、入りやすそうな飲食店にはなかなか出くわさないうちに気づけば白老川まで来てしまった。
ここまで来ると次の目的地への分かれ道。
迷ったが昼飯は後にして、先に次の目的地である仙台藩陣屋跡に向かって坂道を登り始める。
2.仙台藩陣屋跡
ウトカンベツ川に架かる橋の辺りに設置された駐車場。
ここには仙台藩陣屋についての説明板が雰囲気のある意匠で設置されている。
陣屋が設置されたのは1856年。
時はまだペリー来航前の江戸時代。幕府は蝦夷地を欧米各国から守るという名目で東北諸藩に警備を命じた。
仙台藩が請け負ったのは白老から遠く国後・択捉島までの太平洋沿岸。
この白老に元陣屋と呼ばれる行政機関及び兵士の詰所を設置した。
堀と土塁の組み合わせで内曲輪・外曲輪を構成している。
城なら本丸とか二の丸とか呼ばれるものだろう。
その他にも行政施設を置き、12年間この地で200名程が従事したそうだ。
立派な石碑が建っている。
陣屋跡の構造図。側面は川によって守られている。
砂利の駐車場の奥に門が見える。手前にある短い土塁は馬出と呼ばれる設備。
木がもりもりと茂っている。
木に囲まれた道を進んで行く。
土塁と木でできた門。北海道ではなかなかお目にかかれない城設備。萌える。
門の内側から
3.外曲輪
いよいよ内部へ。四番長屋跡が区画割されていた。
外曲輪の構造図と説明板。二番~四番長屋まで描かれており主に居住地だったようだ。
元々の土塁の高さは1丈(3m)。今はかなり埋まってしまって低く見えるようだ。
入口には門を二つ設置。一直線ではなく角度をつけた枡形と呼ばれる構造で、曲輪の外にある馬出とセットで日本の城によく見られる。
4.内曲輪
堀にかかる橋を渡って先へ進む。復元されているのだろうが、雰囲気があって良い。
詰御門という名の門らしい。
内曲輪の説明板。
内曲輪はやや歪な円形で、主に行政機能が集中。
構造図。ここにあったのは本陣、勘定所、穀物蔵、兵具庫、厩。
本陣とは最高責任者、城でいえば城主の居室。今なら知事公館みたいな所かな。
勘定所は財政・民政を扱う役所。都道府県庁的な機能か。
本陣跡には大きな木が立っていた。絵図に合わせて植えたのだろうか。
土塁の切れ目は何か意図があったのだろうか。通り道?
防衛の礎として白老の発展にも尽力したが、戊辰戦争後に撤退。
その後廃れるままだったが、明治末期に住民が墓石を発見。
復元を進め、貴重な史跡として整備されている。