目次
1.福島市の概要と沿革
今日は2015年10月27日放送の空から日本を見てみようで紹介された福島県の福島市について調べてみた。
人口は約28万人。
奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれ、中心部は阿武隈川流域の盆地に位置する。
石器や縄文土器などが出土しており、古くから人々が居住していたようだ。
縄文中~後期の宮畑遺跡は時代の異なる3つのムラの跡が発掘されている。後期の集落跡からは関東地方によくみられる敷石住居も発見された。
弥生時代の遺跡からは水田跡や朝鮮半島製造と思われる勾玉が発見されており、広域交流が行われていたようだ。古墳時代には大和朝廷の影響下にあったとされている。
平安時代後期には奥州藤原氏の支配下となる。中世には伊達氏、そして豊臣政権では蒲生氏郷の家臣であった木村吉清が居城を杉目城に移し福島城に改称。
江戸時代には幕府の直轄領を経て譜代大名の板倉家が治める福島藩となった。
戊辰戦争に敗れ、福島藩は消滅。城跡は現在の杉妻町全域・舟場町の大半となった。
県庁など公共機関やビルが建ちならび、庭園は紅葉山公園となった。
土塁や堀跡で辛うじて城の痕跡を目にすることができるようになっている。
明治になり藩が廃止され県が設置。
現在の福島県は奥羽山脈と阿武隈山地で分断され、若松県・福島県・磐前県の3つに分けられた。これが現在も会津・中通り・浜通りの3つの地域に分かれるルーツとなった。江戸時代までは会津がこの地方の中心地であったが、戊辰戦争の遺恨があったのか会津でもなく、中通りの中心二本松でもなく県北端に近い福島が県庁所在地となって今に至っている。
2.福島市の特徴
福島は江戸時代に養蚕が盛んで、生糸の集散地でもあった。明治になると製糸業をきっかけに工業が発展していく。東北地方では最初の日銀支店が設立した。えさの桑の産地となった扇状地は果樹園に転換し、日本でも有数の桃や梨の産地となった。
西部の山地は磐梯朝日国立公園に含まれる。
吾妻連峰は奥羽山脈最大の火山群。噴気活動も観測されている活火山だ。
最東端の吾妻小富士はすり鉢状の大きな河口を持ち、福島市側から見ると小さな富士山のように見える。
途中にある浄土平は火山灰が堆積した平原。水が溜まって湿原や原生林が点在している。アクセスも容易で山々に町の光を遮られているため天体観測にも好適。
南方の安達太良山は荒涼とした火山の景観と高山植物、温泉場が人気でトレッキング客も多い。