道北をいっぱい巡った ― 北防波堤ドーム ―

目次

 

 

1.北防波堤ドーム

ノシャップ岬から再び稚内駅付近に戻ってくる。

この日最後に立ち寄ったのは稚内市のシンボルともいえる北防波堤ドーム。

 

 

世界的にも珍しい庇のついた防波堤。

それが古代ギリシア風の意匠というところがまた素晴らしい。

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長さ427m、高さ14m。f:id:kamonji224:20201106214747j:plain

付近は公園となっている。

 

上部を歩けるようになっていたらさらに素晴らしいのだが。

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流石にそのような造りにはなっていない。

柵があるのは完全にデザインのためだけなのだろうか。

 

港には数隻の船が停泊していた。

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時間があれば数時間でものんびりできそうな場所だが、残念ながらそれほど時間はないので一旦撤収。

 

そして今回は時間がなくて断念した稚内公園の百年記念塔。

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次回の宿題。

 

2.夜の北防波堤ドーム

昼間来ただけではどうしても満足できず夜にもう一度やってきた。

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漆黒の中にボヤっと浮かび上がる姿がまた芸術的だ。

 

かつてはここでキャンプする旅人もたくさんいたそうだが、

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今は原則禁止らしい。

旅先のこんなところで一晩過ごしたら、そりゃあ一生の記憶に残るだろうとも思うが、テントとやや汚れたキャンパーの群れがいたら興覚めかなとも思う。

 

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しかし不思議な建築物。

北の果てにこんな場所があると知っている人はどれくらいいるだろう?

 

稚内駅のページでも触れたがここはかつての稚内桟橋駅。

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樺太へとつながる稚泊航路連絡船と鉄道の乗り継ぎ場所であった。

 

そんなこともあってかSLの動輪がモニュメントとして設置されている。

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以前はSL本体がこの地に保存されていたが塩害腐食が著しく、解体されてしまったそうだ。

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かつては日本の領土であった樺太稚内を繋いでいた港。

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今ではサハリンのコルサコフと名は変わったものの細い糸が辛うじてつながっている港と連絡船を、かつて共に輸送を担った蒸気機関車の忘れ形見が見守り続けている。

 

3.北防波堤ドームの沿革

北防波堤ドームは1936年完成。

1922年に設置された稚内桟橋駅の利用客や港湾設備を日本海の荒波から守るために5年間かけて建設された。

設計したのは当時若干26歳の青年技師・土谷実。

小樽の港湾設備建設を手掛けた廣井勇の一番弟子と言われている。

 

廣井勇についてはこちら

kamonji224.hatenablog.com

 

稚内築港事務所長であった平尾敏雄の命によりドーム型屋根のついた防波堤を設計することとなる。若き日に大学で学んだギリシア・ローマ建築の様式

を参考に世界でも類のないデザインを作り上げた。

 

第二次大戦後稚泊航路は閉鎖。ドームは石炭や資材置き場となる。

老朽化が進み、市民の願いもあって1978年から原型を再現して新ドームの建設が始まり3年後に竣工。稚内市を代表するランドマークであり、旅人が目指す最北の街のシンボルであり続けている。

 

2003年には土木遺産に認定された。

残念ながらカードは既に配布終了済み。

www.jsce.or.jp

 

道北をいっぱい巡った。 ― ノシャップ岬と稚内灯台 ―

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1.ノシャップ岬

稚内駅を見た後、日没まで少し時間があったので再び車を走らせ、ノシャップ岬へ向かった。道道254号線を北へ進む。海沿いの道に民家が切れ目なく連なっている。北の果ての岬というと険しい断崖や荒々しい山肌などを連想しそうだが、至って穏やかな風景である。

  

 

岬自体もなだらかな平地で、小さな公園のある観光地となっている。

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看板越しにちょうど利尻富士が見えるよう設置されている。

 

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近くは漁港。漁船と一緒に利尻富士

 

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漁港裏手の丘は自衛隊の基地があったりもする。

 

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やがて陽が落ちてきて。

 

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さらに落ちてきて。

海も赤く染まってきた。

 

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観光客もほとんどいなくなり、残っているのは時計を見つめるイルカ君。

 

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そして夕食中の鹿君だけになった。

 

2.稚内灯台

公園のすぐそばには水族館や科学館があるが、この日はもう夕方なので入館はあきらめる。その代わりすぐ横にある稚内灯台をじっくり観賞。

 

 

ここが岬の最先端。

この岬の付け根辺りが稚内の中心地ということになる。なだらかな岬だが、この地形が天然の良港に重要な要素となっているのだろう。

 

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青空に赤白のツートンが良く映えている。

 

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真下から見るとこんな感じ。

 

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道内でも知名度はあまり高くないかもしれないが、地上から灯台の高さは日本2位。

北海道では最も高い灯台である。

 

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灯台カード。

利尻富士の存在感が凄い。

道北をいっぱい巡った。 ― 稚内駅 ―

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1..ホテル美雪

南稚内駅を出て北へと進む。

宗谷本線の駅を巡ってきたがついに最後の駅は目前。

時間も夕刻が近くなってきたので、まずは荷物を置きにホテルへチェックイン。

 

 

稚内駅すぐそばのホテル美雪が今夜のお宿。

ビジネスホテルとは趣が異なり、畳に布団が敷いてあるタイプの和室。

洋室もあるらしいが、疲れているときは和室の方が寛げるので良かった。

 

しばし休憩した後、いよいよ稚内駅へ

 

2.稚内

 

ホテルから歩いて数分。

ついに到着した北の果ての終着駅。

 

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2012年に建て替えられて道の駅などを併設した複合施設となった稚内駅。

北の果てにやってきた叙情はちと感じにくいかもしれない。 

 

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窓越しなのがちとかっこ悪いが最北端の線路と看板を眺め、達成感に包まれる。

長い長い2日間だった。

次は鉄道で訪れることを胸に誓って線路に別れを告げる。

 

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先ほどの線路から駅舎内、そして外まで続く線路跡。

かつて使用されていた車止めが日本最北端の線路跡のモニュメント。

駅舎改修前はこの辺りが最北の線路だったようだ。多少位置はずれているらしいが。

 

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北の大地の入場券も無事ゲット。

抜海駅に停車する単行列車。妙に青い庇と苔むしたホームからは昭和の香りが濃厚に漂っている。

駅スタンプは宗谷岬ですね。

 

3.稚内駅の歴史

稚内駅は1928年稚内港駅として開業。

樺太への稚泊航路の待合室を改修し駅にしたらしい。線路も延伸された。

当時は船への乗り継ぎのため線路海側に駅舎があった。

1936年北防波堤桟橋が完成。船の離着岸が移動したため線路も延伸。

1938年に防波堤桟橋内に稚内桟橋駅を設置。ただ独立した駅ではなく稚内港駅内の乗降場扱いだった模様。

1939年稚内港駅から稚内駅に改称。

1945年終戦及び樺太からの引揚が終了し稚泊航路は運行停止。それに伴って稚内桟橋駅も廃止となった。

1965年駅舎建て替え。

1984年貨物取扱廃止。側線が徐々に撤去されていく。

2010年2番線が廃止され単線駅となる。

2011年新駅舎開業。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅を中心に北防波堤まで副線が伸びている。

 南東の埋め立て地への専用線は既に撤去されているが、その跡はまだ明確に路盤が残っている。

 

4.宗谷本線の旅を終えて

さて、50数駅の駅を二日かけて見て周ってきた。

流石に全ての駅を丹念に見ることはできなかったが、見れば見るほど気になる部分も増えてきた。

特にこの沿線は人口希薄地帯が多く、札幌周辺とは全く違う景色の中に建つ駅ばかり。

周囲の風景も含めて飽きることのない道中であった。

あとは虫さえいなければ・・スズメバチがいないのは良かったがアブが密集しているのはちょっとキツイ。

 

今回は北の大地の入場券を購入することぐらいしかJRに貢献していないが、次はやはり電車に乗って車窓を眺める旅をしたいものである。

 

駅を巡れば巡るほど開業時の駅舎の姿や近隣の町並み、乗客や貨物でいっぱいだったであろう列車たちなどなど知りたいことが増えてきて、完全に泥沼に引きずり込まれつつある。

 

自治体が発行している市町村史などにも鉄道に関する章が設けられているようなので今年の冬は図書館通いを計画中。

 

やや鉄道との縁が薄そうな札沼線当別町、月形町、浦臼町の町史を先日調べてみたがやはりネットでは見ることのできない情報や写真があったりして地域の歴史も含めてとても面白い(笑)。

調べてわかったことはこれまでの駅の記事に加筆修正していくつもりです。

が、記事を書くよりも調べるのが楽しくなって記事を書く時間が減りそうなのが不安。

 

この宗谷本線などは開拓の歴史と鉄道開通が密接にリンクしていると思うので、今から楽しみである。

 

さて、今回の宗谷本線を巡る旅はいったんおしまいですが、この日の夕方・そして翌日はまた違った場所を訪れつつ帰路についたので次回からはそちらの内容を書いていきます。2泊3日の行程を書くのに一体何か月かかるのか・・・

 

kamonji224.hatenablog.com

道北をいっぱい巡った。 ― 南稚内駅 ―

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1.南稚内

道道106号線を走っていよいよ稚内市街地に入る。

程なくして国道40号線に交差して左に曲がる。

そこからはすぐに南稚内駅前に到着だ。

 

 

駅の周りは飲食店が並び、稚内市の繁華街といえるエリアになっている。

 

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平屋の駅舎。

茶系の温かみのある色合いで、最果ての感じはあまりない。

 

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跨線橋も同じ色味。

あまり古くはなさそうだ。

現在は2面3線のホーム構造。しかし3番線は乗降はできず保線車両専用となった。

2.南稚内駅の歴史

南稚内駅は1922年当時の宗谷線(後の天北線)の終点として開業。

当時は稚内駅という名称であった。

この頃は現在の駅より1kmほど北に位置していた。

 

現在の稚内港郵便局あたりにあったらしい。

向かいにあるホテル滝川は今も残る当時の駅前旅館。

 

1923年南稚内駅と樺太を結ぶ連絡船が開設された。

しかし駅から船着き場までは2kmほど距離があったため徒歩や荷車が必要であった。

船着き場に建てられた待合所が1928年稚内港駅となり、線路も延伸となった。

 

1924年稚内駅~兜沼駅が開通。さらに1926年天塩線(現在の宗谷本線)が全面開通。

1930年名称変更により旧宗谷線が北見線、天塩線が宗谷本線となった。

さらに1939年今度は駅名が変更となり稚内港駅が稚内駅、旧稚内駅が南稚内駅と改称された。

 

そして1952年駅間距離が近すぎること、また複雑なスイッチバック方式を解消するため南稚内駅が移転。現在の位置となる。

 

1961年北見線が天北線に改称。

1983年貨物取扱が廃止。

1989年天北線が廃止。最北の分岐駅ではなくなった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅からもう少し東に進むと分岐点がくっきりと見えている。

かつては6番線及び貨物用も3線もあるような大きな駅であった。

この当時は側線がまだ残っているようだが徐々に徐々に撤去されていくこととなる。

 

南稚内駅よりもう少し北にはかつての稚内機関区が今も名残をとどめている。

 

線路沿いの道からも様子は窺えるが、この跨線橋からは車庫や構内の様子がばっちり見えるようだ。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真Ⅱ。

 

当時は大きな扇形車庫と転車台を備えていた。

 

扇形車庫は撤去されてしまったが、転車台は今も草に埋もれながらもその地でひっそりと時を過ごしている。

 

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道北をいっぱい巡った。 ― 夕日が丘パーキング ―

抜海駅から道道106号線に戻って海岸近くの道を先へ進む。やがて二股に分かれる道を右手の山を登る方面に進んでいくと、途中に広くてトイレのある駐車公園発見。

車を停めて外に出る。

 

 

風がめちゃくちゃ強いが天気はまあまあ良くて眺めが良い。

 

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利尻富士もやや霞んでいるが、わりとくっきり見えた。

 

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公園から坂を下っていくと漁村集落がある。

 

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この辺りになると寒さと強風で高い木が育つことができない環境のようだ。

濃い緑が色鮮やかである。

 

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公園の下へ降りていく道もあるのだが、今回は時間の都合もあって断念。

 

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左手の方は弧を描くように海岸線がカーブしている。

先端は抜海岬。

 

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キラキラ光る海に分かれを告げて、先へ進む。

もう間もなく稚内市街。

長い長い宗谷本線の各駅を巡る旅も残り2駅だ。