道北をいっぱい巡った。 ― 問寒別駅 ―

目次

  

1.問寒別駅(といかんべつえき)

歌内駅からは久しぶりに国道40号線まで戻って先へと進む。

この辺りからは広々とした牧草地帯となる。

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牧草ロールがあちらこちらに。

 

コクネップ川を渡ると天塩町に入る。すぐに道道395号線との交差点で右に曲がり、天塩川を渡ると幌延町。問寒別の集落に到着だ。ガソリンスタンドと小中学校のある交差点で右折し、しばらく進むと問寒別駅。

 

 

 

以前の駅舎の基礎がばっちり残っている貨車駅。

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外装は最近綺麗にしてもらった様子。木の温もりを感じるようなデザインだ。

 

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花壇は赤系で統一されてました。

 

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草むらの中を進む線路。

線路と木々の間にスペースがあるのは2面2線ホーム時代の名残だろうか。

 

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稚内方面。こちらも線路・ホームがあった場所は草むらになっていると思われる。

 

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ホームを支えている柱?はかなり古そう。

 

そうこうしているうちに列車がやってきた。

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もちろんワンマンの単行列車。

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普通列車に巡り合う確率は相当少ないのでラッキーである。

 

待合室には掲示物が多い。

これは問寒別駅が無人化となった時の新聞記事。

住民と駅員さんでさよならパーティーを行ったそうだ。

寂しいが微笑ましい出来事である。

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2.問寒別駅と近隣の歴史

問寒別の開拓は1905年頃に始まった。当初は林業が盛んで、問寒別川から天塩川へと木材を流送していた。この頃は問寒別川口付近が市街地で渡船場や北大演習林の派出所等が設置されていた。

問寒別駅は1923年誉平駅ー当駅の開通により一般駅として開業。

幌延町では最も古い駅である。駅の開業によって市街地が移動、木材の集積場となり駅裏には木工場も建設された。その後2年間は終着駅だったため、北上するにはここから船で川下りが行われていた。

昭和初期に木材需要は減少し始める。

1930年幌延町営軌道(当初は殖民軌道問寒別線)が開通。

1939年宗谷鉱業所が砂クローム採取を始める。

1971年幌延町営軌道廃止。

1982年貨物取扱廃止。

1984年旅客業務無人化。1986年通票閉塞廃止に伴い運転業務職員も廃止、完全な無人駅となる。

2015年外壁を改修。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真。集落は今より若干大きそう。

 

当時は2面2線のホーム構造。

さらに駅裏にはストックヤードがあるがこの頃はすでにあまり使われていなかったか。

副本線も確認できる。

駅横には雪印の施設や幌延町営軌道の停車場・車庫もあった模様。

北東の上問寒別方面に向かって線路が伸びている。

 

この頃の木造駅舎についてはこちらに写真の記載あり。

 

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3.幌延町営軌道

待合室には幌延町営軌道についての記事もあった

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その他お手製の掲示も多数あった。これらを見るためにこの駅を訪れるのも悪くないだろう。

 

幌延町営軌道は植民の他戦前はクローム輸送、戦後は石炭の輸送や生乳、木材などの輸送を行っていた。旅客は1日2回、泥炭地が多く水害も頻繁に起きていた。

1941年に日本白金クロームが借り受け、修理を行い路線も延長。

同年天塩鉱業に貸付、翌年にはディーゼルカーも導入。

戦後石炭の輸送が始まり炭鉱までさらに3km延長。

しかし炭鉱の閉鎖、高度経済成長による離農による旅客及び農産物減少もあって経営は徐々に苦しくなる。

そして並行する道道の改良及び除雪開始などによって存在意義を失ったとされ、1971年廃止となった。

 

機関車と客車がしばらくの間幌延市街地の公園に遊具として保存されていたが腐食が著しく1991年解体された。

 

関連画像はこちら

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