芦別・赤平探検 ― 三井芦別駅跡 ―

目次

 

 

1.三井芦別駅と三井芦別鉄道

相変わらず、国道を北へまっすぐ進んで行く。

ついに住宅街が見えるようになってきた。

次の目的地は三井芦別鉄道の中心であった三井芦別駅。

 

 

 

2021年現在、唯一駅舎が残っている駅である。

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現在は産業廃棄物業者の社屋になっているらしい。

木造、横長の駅に緑の屋根。かつての中心駅の面影をよく残しているようだ。

 

1940年三井芦別鉄道の専用鉄道開通時に終着駅として開業。

開業当初は西芦別駅という貨物専用駅だった。

1942年旅客営業開始。

1945年当駅~頼城駅間が開通。

1949年地方鉄道に転換し、駅名を三井芦別駅に改称する。

1972年旅客取扱廃止。

1989年廃線に伴い廃駅となる。

 

専用鉄道時代は滝川機関区の蒸気機関車が運行されていた。地方鉄道化の際に機関車増備。1958年に気動車を導入、停留場を増設し旅客設備の増強を図る。

しかし、炭鉱の合理化により沿線人口は徐々に減少。さらにバス路線も整備され1972年旅客営業廃止。停留場は全て休業(実質廃止)。気動車も全廃された。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真。

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三井芦別駅前には配給所や商店街があった。

駅の南には機関区や製材・鋳物などの工場群、その西側には選炭機があった。

第一坑はさらに東、炭山川上流部分にあった。

 

三井芦別炭鉱の第一坑が開坑したのは1939年。最盛期には三井芦別全体で4500人を超える従業員がいたとされる。1992年閉山となった。

 

2.山の手町停留場

次は山の手町停留場。

 

1958年旅客のみ取扱の停留場として開業。

1972年旅客営業廃止で休業。

1989年廃線に伴い正式に廃駅。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真

 

駅周辺は住宅街になっており、少し南には西芦別中学校・西芦別小学校が並んで建っていた。

 

中学校は1947年開校、1996年頼成中学校と統合後2006年廃校となる。小学校は1940年開校、2014年閉校となった。

 

3.高校通り停留場

最後は高校通り停留場。

この駅は市の中心部に位置していた。

 

 

1942年社芦別駅という名で旅客駅として開業。

1946年一度廃止となるが、1958年高校通り停留場として再開業。

1972年旅客営業廃止で休業。

1989年廃線に伴い正式に廃駅。

 

1960年代の国土地理院地図の航空写真

 

芦別駅から数本の路線が南に延びているが、一番西側の路線が三井芦別鉄道。

線路を横断する道の付近に停留場があった。

真っすぐ東へ向かうと芦別高校がある。当時は今と配置が異なり南に校舎、北側がグラウンドであった。

 

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