札幌史跡探訪 ― 厚別駅 ―

目次

 

1.厚別駅

山本地区のメインストリートであった道を南へ進み、厚別駅に到着。

 

 

駅からまっすぐ北へ伸びる道だが、この道は古くからあった道ではない。

山本地区からまっすぐ伸びる道は駅から少し西側を通り線路を渡って白石区方面へつながっている。

 

今昔マップを見ると1950年代まで駅の北側は農地と線路沿いの住宅地

 

北側から見た駅。正確には西口であり、この部分は跨線橋の上にある橋上駅舎。

 

 

今回は電車の時間の都合で南口へ行かなかったが、ストリートビューで見てみるとこんな感じ。

 

こちら側は国鉄時代から残る駅本屋。

ちなみに駅正面の通りも古くからある駅前通りではない。

上の今昔マップを見るとわかるように、もう少し西側にある通りが古くからの駅前通りで、現在もれっきとした道道の325号厚別停車場線である。

厚別駅前から国道12号までの1kmに満たない道道だ。

 

現在の厚別駅付近はほとんどが住宅街だが、JAの施設があるのは歴史の古い駅である証左だろう。

ここから見えるのは青果物集荷所だが、JA厚別支店のほかに近年は野菜の直売所もできたそうで札幌圏の駅には珍しく、農業の色が濃い駅だ。

 

駅の自由通路から見える景色のほとんどはマンションと一軒家。

 

改札内にある跨線橋。これは昭和を感じる風合いと配色。札幌市内では珍しい。

 

2.厚別駅と近隣の沿革

厚別駅付近の開拓は1882年、長野県出身の河西由蔵を中心とする信濃(信州)開墾を祖とする。

厚別川流域を中心に開拓を続け、水田開発も早くから成功していたようだ。

 

一方で開拓初期は白石方面へのルートがなく、厚別川沿いしか道路がなかったらしい。

1889年、現在の国道12号線がようやく厚別まで開通。

官営幌内鉄道(後の北海道炭礦鉄道)は1882年に開業済みだったが厚別には駅はなかった。開拓が順調に進み人口も増えたことで、1894年に一般駅として厚別駅が設置される。厚別という地名がなじんで行くのは駅ができてからのことらしい。

 

1916年に日本麻糸厚別製線工場の開業,25年には酪聯厚別仮工場のバター出荷があり貨物取扱量が増大する。しかし26年にはその製線工場の閉鎖と酪聯の主力を苗穂に移転があり、取扱量は減少したままとなった。

 

戦時中には現在の新札幌駅付近に陸軍の弾薬庫が設置され、厚別駅から専用線が敷かれていた。

 

国土地理院の1948年航空写真

南へ分岐していく専用線がまだ残っている。

 

1973年貨物取扱廃止。

1978年駅舎改築、現在に至る。

 

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