目次
1.白老八幡神社
白老駅北側の中心道路である道道86号線を西に進む。
図書館を通り過ぎたところで左折。
白老八幡神社に立ち寄っていく。
立派な鳥居が建っている。
光の加減もあってか、文字が黄金色に輝いている。
白老八幡神社は江戸時代に建てられた弁天社が発祥。350年の歴史を誇る。
明治14年、明治天皇がこの地方を行幸し、白老にも立ち寄られた。
その際に天皇からお褒めの言葉を頂いたと言われるイチイの木。
この行幸の時に、天皇がアイヌ文化に触れたことで白老町がアイヌの居住地として知られるようになった。
本殿前の中門にマスク着用必須の看板があったので、ここでストップ。
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2.白老駅逓跡
鉄道の北側を線路と平行に進む道に沿って西へ。
すぐ傍にかつて駅逓があった。
今は何も痕跡は残っていないが、鉄道開通前は白老の中心部だったエリア。
駅逓についてはこちらを参照 wikipedia:駅逓所
白老町域には白老と森野の2か所に駅逓が設置されていた。
白老駅逓は1873年札幌本道(国道36号の前身)の開通に伴い設置された。
取扱人は大沢周二郎。明治天皇も宿泊するなど官民の往来になくてはならぬ施設であった。
1901年に廃止。
白老町史より、旧市街図
白老八幡神社付近が東端で役場、小学校、旅館、商店などが並んでいた。
寺社の他には今も床屋さんが残っているらしい。
3.白老アイヌ民族記念広場
線路を渡って駅の南側へ。
アイヌ民族記念広場にやって来た。
アイヌ民族と白老町の医療に多大な功績のあった高橋医師を祈念する広場とのこと。
草原に椅子やテーブルが置かれている。時々催し物も行われているようだ。
自然のままのような岩石でできた大きな石碑と隣に碑文が記されている。
碑文はアイヌの子孫によって記されたようだ。2005年と割と近年のもの。
明治になり和人が増えてアイヌの先祖たちも生活が変わったが、苦労に耐えて民族の未来を紡いできたこと、そして近代医療を知らぬアイヌの人々を始めとする地域医療に多大な貢献のあった高橋医院とアイヌの子弟が通った小学校にこの碑を建てたと記されている。
その高橋房次医師の胸像と顕彰碑。
貧しい人々からは治療代を取らず、自艦や天候を問わずに往診に出かけた。
コタンのシュバイツァーとも言われるが、白人優位主義から逃れられず否定的な意見も少なくないシュバイツァーよりもより平等的であったとも言える。
病院は自宅かつ共同浴場もあったそうだ。
4.白老会所
海岸へ向かい、町から少し離れた下水処理場へ。
ここは会所と呼ばれた江戸時代のアイヌとの交易地であった。
下水処理場の敷地に入ったところに説明文と絵図が記された石碑が立っていた。
白老川東岸の、船をつけやすい位置に設置されたようだ。
5つの集落の中心地となり海産物の交易を行って、それなりの規模で運営したらしい。