白老サイクリング ― 萩野駅 ―

目次

 

1.萩野駅

白老市街をひとしきり回ったので、国道に出て西に向かうことにする。

鉄道は白老駅から虎杖浜駅付近までほぼカーブの無い直線だが、国道は時折カーブに出くわす。海岸線は直線に近いので、河川の影響だろうか。

白老川を過ぎると、ブウベツ川、ウヨロ川と続けざまに河川を渡る。

3本の川は国道を越えると一本に合流し海へ注ぎこむ。

この辺りは住宅はなく、企業の事業所が並んでいた。

道はなだらかで自転車で走りやすく、海も近いので眺めもよさそうだが、大型車両の通行も多くサイクリング向きとは言い難い。海もちらちらと見える程度。

ウヨロ川を越えると萩野市街。

少し進んで右折すると萩野駅に到着。

 

 

 

駅は横長のよくあるタイプの形。

駅前は広場になっていて車を数台止められる。

郵便ポストや写真に写っていないが公衆電話が置かれており、駅が地域の中心であった時代の名残がある。

 

国道へ向かう駅前通り。点々と空き地があった。

 

駅側のホームは使われておらず、跨線橋で島式ホームと単式ホームへ繋がっている。

後ろには線路をまたぐ自由通路。

 

室蘭方面。こちら側にも駅名標が建てられていた。

 

駅舎内にはかつての切符売場窓口に駅ノートなどが置かれていた。

きつぷ売場の「つ」が大きいのは、古い表記だから?それとも小さいつを作るのが難しかったから?

 

2.萩野駅と近隣の歴史

この辺りは元々敷生村の東端という位置づけで、1900年頃まで無人だった。

1907年知床信号場が開設、さらに1909年貨物駅の知床駅に昇格、さらにさらに1911年一般駅として開業。定住者が増え始める。

 

ひなたGISより戦前の地理院地図。

知床はアイヌ語で地面の出っ張った先端という意味。

地形的にはあまりそぐわない気がするが、色別標高図を見てみると・・・

 

 

あらびっくり。

海岸沿いの平野部に北から伸びる丘陵地帯が岬のようになっている。

これを指してシレトコと言っていたのですね。上の地図でも等高線をよく見ればわかるのかな。

しかし知床と言えばやはり道東の知床半島が名高いためか、1941年まず地名が萩野に改称。翌年駅名も萩野駅となった。

 

1960年大昭和製紙白老工場の専用線運用開始。

1960年代の航空写真

 

室蘭方面へ進むと分岐していく路線が見える。

工場自体は隣の北吉原駅の裏手にあるのだが、萩野駅方面から伸ばす方が都合が良かったのだろう。

その影響だろうか、この頃は山側に多くの側線があった。

駅舎側は貨物用だったのかもしれない。近隣には木工場らしき建物が幾つか見える。

木材チップや石油を工場へ運び、紙製品を搬出していた。

 

1972年専用線を除く貨物の取扱廃止。

1986年駅員無配置駅となり、業務委託。

2008年木材チップ輸送用貨車の返却をもって専用線廃止。貨物列車の設定も廃止された。

2011年無人駅となった。

今も構内の山側には使われていない線路がそのままになっている。

 

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