目次
1.日高幌別川
東町駅を出て再び国道へ戻る。
ほどなくして市街地を抜け、左手側は山がちに。
海岸側に住宅が並び、わずかな隙間に道路が通っている。
途中に月寒川という小さな川がある。住所も月寒。
札幌にも同じ漢字の住所があるのだが、浦河町の方は「つきさっぷ」と読む。
元々札幌の地名も月寒と書いてつきさっぷと呼んでいたのだが、難読を嫌った陸軍によって改称されたらしい。
浦河町の方はそのまま。アイヌ語の「我ら(火を起こすために)こするもの=ハルニレを示す」が由来のようだ。
月寒川を越えてしばらくすると日高幌別川沿いの集落に到着。
幌別も北海道ではよくある地名だが、アイヌ語で「大きな川」を意味する言葉に由来。
道内各地に幌別川もあれば、北見幌別川や胆振幌別川など地名を付加した名称になっている川もある。
航空写真を見るとわかるが、日高幌別川に注ぎ込むメナシュンベツ川沿いまで集落があり、さらにその上流のニオベツ川沿いに国道236号線が開削された。
日露戦争後、西舎村(にしちゃむら)に政府は種馬牧場を設置し国産馬の改良に努めた。現在も公益財団法人軽種馬育成調教センターとしてその系譜を継いでいる。
この付近への入植は明治の中頃の1887年頃から始まり、河口から徐々に上流へ広がっていった。
明治から大正期にかけては河口まで木材の流送も行われ、そのまま船で本州へ積み出されていた。
2.日高幌別駅
日高幌別川の右岸、国道236号線と336号線の分岐点付近が日高幌別の小さな市街。
分岐点をわずかに過ぎたあたりに日高幌別駅があった。
日高幌別駅は駅舎とレストラン・西幌別簡易郵便局が同居する複合施設だった。
駅は廃止となったが店舗と郵便局は現役。
風変わりな建物を特徴づけている、鋸の歯のような三角屋根は何か意味があるのだろうか。
裏口側にまわってみる。だいぶ色が薄くなったPOSTの文字が。
ホームへはスロープで。すでに草生している。東町方面は雲一つない快晴。
様似方面。線路の先は緑に埋もれて見えない。
木製の電柱がまだ残っていた。
3.日高幌別駅の歴史
1937年 日高線浦河駅~様似駅間開通時に一般駅として開業。
地理院地図より1948年の航空写真。
周囲は農地が大半。
当初は島式ホームの1面2線構造で、さらに構内南側に側線も一本有していた。
駅北東側には木材が積まれているようにも見える。
1961年 中央競馬五冠のシンザンが引退し種牡馬として里帰り。
貨車で日高幌別駅まで戻り、駅から牧場まで歩いて移動した。
駅舎改築後の複合施設名はレストビレッジシンザンというらしい。
1977年 貨物の取扱い廃止、同時に無人化。
1970年代の国土地理院地図の航空写真。
この頃には既に棒線化していたのだろうか?
現在でも駅舎とホームの間に少し距離があるのは島式ホームだったころの名残らしい。