今日は2014年7月8日・15日放送の空から日本を見てみようで紹介された長野県の松本市について調べてみた。
人口は約24万人。
長野県では最も広い面積を持つ。百名山の山がいくつも松本市内にあり、岳都とも言われる。松本市街は松本盆地の中心部に位置し、市内にはいくつも扇状地が見られる。
またフォッサマグナの上にあり、糸魚川静岡構造線も市内を通っており地震の多い土地である。
信濃の守護小笠原氏、武田氏などの勢力下にあったが、本能寺の変後徳川家康の配下であった石川数正が城主となり城と城下町の整備を行う。
その後は水野氏や松平氏が藩主となって統治した。
現存十二天守の中では唯一の平城である。
松本市は戦災を逃れたため、城郭以外にも歴史的建造物が多く残る。
旧開智学校は文明開化時代の洋風小学校建築のモデルとして名高い。
日本で最も古い小学校の一つである。
校舎のすぐ手前にある旧司祭館は長野県内に現存する最古の西洋館が移転されたもの。
また、旧制松本高等学校は旧制第一高校(東大)~第八高校(名古屋大)の後に設立されたネームスクールの中で最初の高校であり、現在の信州大学の元となった。
校舎周辺はあがたの森公園になっている。
ミュージアム系も充実しているが、変り種としてはコレクターの寄贈によって設立した時計博物館。度量衡店の土蔵を改築したはかり資料館。豪商酒井家のコレクションを中心とする浮世絵博物館などなど目移りしそうである。
商店街は昔の街並みが復元され、カエルがシンボルの縄手通り商店街として観光客にも人気だ。
近くには牛つなぎ石や源智の井戸などの史跡もある。
故松田直樹選手が最後に所属したチームであった。
市西部、松本電鉄上高地線の終点より西側からは山岳地帯となる。
岐阜県と県境付近は生糸工場へ出稼ぎに出かける女工を描いた「あゝ野麦峠」で有名になった。
犀川沿いのアーチダム3兄弟を過ぎてしばらく行くと景勝地・上高地エリア。
スタート地点の大正池は天然池でありながら東京電力の水力発電所の調整池にもなっている。そこから前後10km、幅1kmの堆積平野が広がる。
山岳地帯にありながらこれだけの広さを持つ平坦な地形は国内では極めて少ない。
天気が良ければ全国三位の高さを誇る穂高岳や焼岳などが見える。
穂高岳の奥には第五位の槍ヶ岳もあるのだが、見ることはできないそうだ。
かなり標高の高い位置にあるのだが、麓は宿泊施設が多く観光客で賑わっている。南の乗鞍高原とともに日本の山岳リゾートの代表的存在だ。