今日は2015年1月27日放送の空から日本を見てみようで紹介された岐阜県の大垣市から関ケ原について調べてみた。
まずは瑞穂市
人口は約5万5千人。
中山道の宿場町であった美江寺宿は、海抜が低く水害に悩まされてきた。
本陣は最も高い位置に設けられている。
皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐために中山道を下った際に和歌を詠んだという地が小簾紅園という史跡になっている。
本陣からやや東には世界一の生産面積を誇るサボテン村もある。
人口は約16万人。
地下水が豊富で、河川も多く水の都とも言われる。
かつてはその水資源を生かして繊維産業も盛んだった。
墨俣町、上石津町を合併し両町ともに飛び地となっている。
伊吹山地の南東に位置する金生山は日本一の石灰石産地として大半が削り取られ、現存するのは南東部のみとなっている。
江戸時代は主に戸田氏が治め、居城の大垣城は廃城を逃れ、戦災で焼失した部分も現在は復元されている。
また、豊臣秀吉が一夜にして築いたとされる墨俣城も復元され、公園となっている。
外観は大垣城を模しており、オリジナルとは違うようだ。
石灰岩・大理石の加工で栄えた中山道の赤坂宿やお茶屋屋敷跡も一部史跡として残っている。
またこの地は松尾芭蕉の奥の細道の終着点でもあり、むすびの地記念館が作られた。
木造の川湊灯台である住吉灯台も復元され、かつての水運が栄えていたことを伝えている。住所も船町という名がついている。
続いて養老町
人口は2万7千人弱。
養老山地と揖斐川にはさまれた南北に広がる町域である。
周辺は公園に整備されている。
町北部にある象鼻山古墳群は東海・機内の様式を兼ね備えており、両勢力の影響を受けあるいは利用していたと考えられる。
次は海津市
人口3万3千人。
ほぼ全域が海抜ゼロメートルに位置する。
揖斐川・長良川・木曽川が合流する地点にあり集落を守る堤防である輪中が数多い。
おちょぼいなりとして親しまれる千代保稲荷神社や日本最大の国営公園である木曽三川公園がランドマーク。
江戸時代に薩摩藩が工事・植林を行った油島千本松原堤や羽根谷だんだん公園など治水・砂防に関わるスポットが多い。
続いて垂井町
人口約2万7千人。
古くから美濃国の中心として栄え国府や一宮である南宮大社が置かれた。
中山道と美濃路の分岐点など交通の要衝でもあり、門前町としても栄え、寺社の史跡も多い。
また豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛の出身地でもあり、銅像も建てられている。居城であった菩提山城は西美濃最大の山城であったが、半兵衛の息子重門が陣屋を移したことで廃城となった。
最後は関ケ原町
人口は7千人弱。
南北を山地にはさまれ、古代には不破関が置かれた。