世界ふれあい街歩き ― ブエノスアイレス ―

目次

 

1.ブエノスアイレスの歴史

今日は2009年4月16日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスについて調べてみた。

wikipedia:ブエノスアイレス

 

 

ラプラタ川に面し、どの州にも属さない自治市。

町の建設は1536年、スペイン人の植民に始まる。一度放棄されるが1580年に再び入植、貿易港となり賑わうがスペイン本国の方針により、植民地からの輸出は全てペルーのリマを経由するよう定められ、密貿易の拠点となる。

その後、ブラジルを支配するポルトガルからの防衛のためペルー副王領からリオ・デ・ラ・プラタ副王領が分離。ブエノスアイレスは王府となるが自由貿易は認められず。

19世紀初頭イギリスが侵攻し正規軍は逃走するも、民兵が撃退。

ナポレオンとの戦争が始まり、スペイン本国に混乱が生じると南米植民地では独立運動が盛んになる。

1816年リオ・デ・ラ・プラタ連合州がブエノスアイレスを首都に定め独立を宣言。

1825年国名をアルゼンチンと改称。自由貿易の拠点となったブエノスアイレスは発展を続け、人口も増加。政治力も強く連邦とブエノスアイレス市の二重権力構造となる。

1880年ブエノスアイレス州からブエノスアイレス市が分離。

イギリス貿易圏内となり、20世紀初頭には世界有数の農業輸出国となる。

都市部は発展するが、地方への恩恵は少なく都市周辺にスラム街が形成される。

第二次大戦後は政治の混乱・経済の低迷が続くが、依然として南米有数の巨大都市であり、アルゼンチンのあらゆる産業の中心となっている。

 

2.ブエノスアイレスの観光

町の中心は独立運動の舞台となり、歴史的建造物が建ち並ぶマージョ広場。

 

マージョとは5月のこと。1810年5月の独立運動から命名された。

 

代表的な建物としては、直訳するとバラの家となる、ピンク色のカサ・ロサダ(大統領府)や独立の英雄サン・マルティン将軍が眠るメトロポリタン大聖堂など。

 

町のメインストリートは世界一幅の広い道路として知られる7月9日通り。

 

通りの名は独立記念日より。

 

市内の文化施設としては世界三大劇場にも称せられるコロン劇場、アルゼンチン国立美術館など。

非常に優れた音響効果で知られるコロン劇場。

 

芸術作品のような彫刻が施された墓石が並ぶレコレータ墓地、カラフルな建物が並ぶ商店街のカミニート、映画でも有名な大統領夫人エビータの博物館、騎馬像がシンボルのサンマルティン将軍広場、ダンテの神曲をイメージして建設された高さ100mのバローロ宮殿、元劇場の世界で二番目に美しい本屋とも言われるエル・アテネオなどが名スポット。

 

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ライオンやトラの檻に入って直接触れる世界一危険な動物園のルハン動物園

 

 

サッカーの名門ボカ・ジュニアーズの本拠地であるラ・ボンボネーラブエノスアイレスのシンボルの一つだ。

 

あまり広くないスペースに5万人収容のスタジアムを建設したため、ピッチと観客席が非常に近い仕様となっている。

世界でも有数の熱狂的なファンが大挙して訪れるスタジアムだ。