目次
1.旧余市福原漁場
昼食を食べ、お腹を満たして再び出発。
余市駅方面へ戻りながら次の目的地へ。
ニシン漁で賑わった北海道の日本海沿岸。
幕末から余市町に定住し、ニシン漁を行っていた福原家が所有していた建物群が国に史跡と指定された。
明治以降も余市ではニシンの豊漁が続き、海岸線に漁師の住居である番屋や蔵・加工施設などが並んでいた。
漁場経営者は大宅(おおやけ)と呼ばれ漁期には出稼ぎの漁夫を数多く雇っていた。
漁場では漁→加工→製品化までの一連の作業が行われていた。
漁期は3月下旬から約2か月ほどで、東北や道南から多くの出稼者がやって来た。
ひとつの定置網(建網)には25~30名ほどの漁夫が従事し、福原漁場は4つの建網の権利を所有していた。
漁獲された鰊は生食・身欠きにしんなどの食用もあったが、約6~7割は肥料として加工された。
2.主屋
入口は木造の厳めしい建物。
主屋(おもや)または番屋とも呼ばれる。
親方家族の居住部分と雇漁夫の寝泊り部分に分かれているそうな。
福原漁場全体の配置図。
鰊の運搬に利用していたトロッコ。
運上屋と共に貴重な史跡。
ニシン番屋は道内に数多くあったが、残っている建物は少ない。
移築・復元ではなく、さらに番屋以外の建物も残っているのはこの福原漁場だけであるようだ。
銀シャリ食べ放題とな。おかずはニシン尽くし。
建物内部の構造、特に広間部分は運上屋とよく似ていた。
鰊が獲れなくなった理由を探る。諸説あれどやはり乱獲が最大の原因のようだ。
年間スケジュール。
12月から漁夫の契約、5月に解散と半年がかりの仕事。
でも豊漁ならその後は遊んで暮らしていたのだろうか。
親方家族の部屋。運上屋では役人が使用していたスペース。同じく畳敷き。
3.文書庫
次は文書庫。
3階建ての蔵は道内で唯一とのこと。
大事な文書・書類・貴重品などを保管していた建物。
両開きの防火扉。
漆喰によって延焼を防ぐ。
落語では火事が起きると蔵の目つぶしをするようなシーンがあるが、北海道ではどうだったのだろう。
建物の中には陶器が幾つも並んでいる。
たしか九谷焼が多かったような。
漁の風景。
黒い煙を上げる蒸気船も使われていた。
この建物、ニシン漁には直接関係のない大正・昭和期のものが幾つも展示されている。
かなりの数の生活用品や雑誌・おもちゃなんかが並んでいた。
4.石倉
次はニシン粕、身欠きにしんなど製品を保管していた石倉。
これは復元された建物らしい。
漁に使っていたであろう舟。
湊の風景画。
福原漁場だけではなく、いくつもの湊の風景画と説明が展示されている。
地元の研究家が弁財船(北前船)の寄港地を一か所一か所訪ね歩き、絵に描いた そうな。
沢口靖氏のこの傑作、本となっており札幌中央図書館で閲覧可能。
余市図書館にもきっとあるのではないかと思う。
この倉内にずらりと展示されている。じっくり見ていると日が暮れるので泣く泣く割愛し再訪を誓う。
ニシン漁の作業風景。
ゴールデンカムイでも出てきたね
弁財船の模型。帆船って船に対して帆の面積が凄いよね。よく転覆しないものだ。
他にもニシンを干すナヤ場、米味噌蔵、網蔵などが復元されている。
建物だけでなく、漁から加工までの一連の流れがイメージでき、生活風景もよくわかる施設。運上屋はじっくり見たがここはちょっと端折ってしまい悔いが残っている。