夏のドライブ ― 大岸駅 ―

目次

 

1.大岸駅

8月某日。

子どもは友達とキャンプに出掛けた。

特に予定もないので自分も一泊ドライブに。

札幌は天気がイマイチで中山峠は霧が立ち込めていたが、喜茂別に入ると天気が回復。

国道230号線を進んで豊浦町へ。

最初の寄り道は大岸駅。

 

 

海岸に近く、小鉾岸川(おふきしがわ)を挟む小集落の中にある駅。

西の豊浦駅、東の礼文駅との間は山中をトンネルで貫いており、この集落近辺だけが海岸沿いの開けたところを線路が走っている。

 

駅は簡易ながらも綺麗で新しそうな建物。

手前に公衆電話とイチイ?の木が植えられていた。奥には構内踏切が見える。

 

構内踏切と豊浦方面。山地が連なっている。

 

豊浦方面。向かい側のホームも駅側からしか入れない。道路との間にはフェンスが立っている。

 

礼文方面。急峻な崖が海に落ち込む山の中へ進んで行く。

 

フェンスの向こうに太平洋を望む。

似たような色の空と海だが、水平線ははっきり見えた。

オレンジの丸ブイが積まれていた。

 

駅名標の向こうには小さな漁港。

 

2.大岸駅と近隣の歴史

江戸時代には小鉾岸川上流で木材の伐採が行われていた。

河口にはアイヌのコタン。

この辺りは虻田場所の管轄であった。

 

明治の半ばころから開拓が始まる。

大岸、桜辺りから開拓が始まったようだ。

 

1922年大岸鉱山(当初は小鉾岸鉱山の表記)が開鉱。

金採掘を行い精錬所も建設された。

しかし太平洋戦争の勃発による輸入制限で海外への支払いが減少。

金の需要も無くなり金採掘のヤマは休山・閉鉱に追い込まれた。

大岸鉱山も1943年に廃止となった。

大岸の集落からニセコへ向かう道道32号線を北上していくと、町の建てた鉱山や精錬所の案内板があるそうだが、劣化して文字は殆ど読めないそうだ。

 

その間、1928年に静狩駅~伊達紋別駅間開業に伴い小鉾岸駅が一般駅として開業。

1935年大岸駅に改称。

国土地理院地図の1970年代の航空写真。

 

駅の東側が貨物スペースかと思うが、この時点であまり利用はされていない様子。

1980年には貨物・荷物取扱廃止で簡易委託化となった。

数年後には完全無人化となったようだ。

当時は2面3線のホーム構造だったが、現在は旧2番線を撤去し2面2線の構造。

 

豊浦方面はかつて経路が違い、隣に豊泉駅が設置されていたが1968年の複線化に伴う新線切り替えの際に廃止となった。

 

同じ年代の航空写真。駅舎や線路跡はまだ確認できる。

 

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